企業は裏切る、こともある。
ミツビシ自動車、雪印、不二家、ナショナル温風器、パロマ、ミートホープ、それから、わたしのニフティー。ついでに社会保険庁も。
「日本国」も、どうだかわからない。
尻もぬぐえないほど疲弊していても、
「自民党にお任せください」と言う責任政党もいます。
信頼、とは盲目的です。
盲目的でない信頼など、信頼とは言わない。
ひどい母親にでも、その子は「勘定高い信頼」など寄せない。
『買ってはいけない』あたりから始まった「武装する消費者」像。
いやもっと前か、「民主主義は不断に確保する努力をしないと形骸となる」と言った丸山真男あたりかな。
「信頼」と「裏切り」の対角線上に右往左往する国民・大衆がいる。
早死にしても「臣民」としての信頼感に従容としてついて行ったこともあるし、義理も人情も掃き捨てたことだってあろう。商業主義という立派なイズムもあった。「商業主義」? やだ~、と言う向きもありましょうが、実は客の繁栄が当店の繁栄の元である、と考える「実利主義」の意味です。
そんな商業主義を「国家」が運営資金の原資になると、うかうかとぶん取りにかかったことから、おかしくなった。国家は収入源である税金の公平であることに腐心すべきで、武士の商法にかかずりあうべきではない。
国家の善意(国家主義とも言います)は、理念的に極少にとどめておくべきだとわたしは思います。その極少にも十分すぎるほどの重い課題はありますでしょう。それをやってください。
社会保険庁は最悪でした。
下っ端役人の言い訳が、是非聞きたい。
トップのペコリなんか見たくもないや。
彼ら「下っ端」の持っていた「職業倫理」や「社会道徳」が聞きたいのだ。下っ端だから許されるとでも思っているのか?わたしの構想している「世界市民」の範疇では、見逃すべからざる不実と見なさざるをえない。(国民から)委託された仕事はちゃんとやりましょうや、と言いたいだけです。
数年前の「ミツビシ自動車スキャンダル」の時、
「下っ端労働者には罪はないでしょう?」と言う某氏に、
「いんや、現場の労働者に罪は無いなんてことはありっこない」
と応えて、白けさせたことがある。
下っ端だって、否応(いやおう)なく上のステージに立たされるのが「現代」なのです。
何なんだよ?「現代」てのは?
自分の立つステージさえ、どこぞから割り振られるのかよ?
どうやら、そんなことらしい。
どんな辺境にいても「世界市民」なんだ。
「世界市民」と言うと、われながら、気が重い。
いつの間にそんなおおそれたことになったんだろう。
K県O村字Sの飯食って死ぬだけのオイラが、「世界市民」かよ?
そんなオイラをも組み込む、世界「資本」と同到する強大無比のストリームがある、ってことかな。
うーん、辺境の小島にも、辺境の市町村にもね。
楽園は、辺境にも、なくなった。
コピー商品作りまくり、怪しげな薬品・商品作りまくりの中国もね。・・・世界中が「失楽園」になってしまったんだ。
労働に道徳教育を、ってか?こいつぁー、面白いや。
素面(しらふ)のときに、再論。
と行きましょう。(←こんなんばっか。)
とゆーことで。あはは。(←自分で笑う自分落ち。)
若い衆(し)はよさこい祭りの練習まっさかり。
もうすぐだ。
ヨサコイはあちこちに飛び火しておる。
元祖は土佐の高知であるからな!