Photo_1 四万十川や長良川が有名になったのは、
人工的な建造物が目に入らないポイントが多数あるからです。
こういうところを独りカヌーで下っておりますと、
人間と自然との共生、などという文明人の小癪な考え方が、
解けて無くなるのであります。
(やったことないけど、おそらくね。)



人工の構造物が視野に入らない景観は、
なんだかねー、いいんですよ。
わざわざ人間やっているのがアホらしくなるほどいい。
「人間(社会のストレス)」がゆるゆると解けていくのを感じます。
人間の手垢が付かない<自然>に慰謝される、てのは、あります。



「そんなのはウソだ!まやかしである!
おれは都会の雑踏の中が好きだ。
家庭や地域や仕事場での軋轢や付き合いや平和の方が、ずっといいぜ。」
と言う方も多いでしょう。
好き嫌いが問題ではなく「こっちの方が大事じゃないか」
といった言い方もできます。



四万十川で、もう一つ有名なのは「沈下橋」です。
あなたの近辺では、絶滅しているかもしれません。
まぎれもなく鉄筋コンクリート製の人工の構造物ですが、
不思議に川の景観となじんでおります。
増水したらたちまち水面下に沈没するんで、
<自然>にとって、あまり邪魔にならない、
レベルの低い人工物だからなんでしょうか。



「日本浪漫派」の旗手=保田與重郎は言っております。



ローマ時代の橋は、征服のための橋であった。
橋梁技術は、この時代におおいに発達したが、
「日本の橋は概して名もなく、その上悲しく哀れっぽい」
「日本の橋は哀れに脆く加へてはかないものだった」と、
はかない営造に哀惜を注いでおります。



堅牢・強固な永続性より、たやすく水に流されうるものが、
「日本的」だと、彼は言っているのです。
生活の便利、よりも!
「日本では人工さえその極致に於いては自然を救うために
構想せられたのである。」
                (『日本の橋』1936年 昭和11年)



大工や施主や設計士や交通・都市デザイナーは、あまたおれど、
人間(の生活)を救うという観点はあったとしても、
うーん。ここまで言える人は、少ないでしょう。



白状しますと
自然の景観よりも、建造物が好みです。
デジカメ持ってうろうろしていると、
賛嘆すべき自然よりも、人間の営為(の遺物)に気がいってしまいます。
人間だったら、本当は、建造物がどこかにある方が、
ほっとするんじゃないのか?
「救命ブイ」みたいに。
雪山で避難小屋を見つけてほっとした人もいるでしょう。
または、人工護岸で守られる零細な生活みたいに。



どっちが本当なんだ?
どっちも本当だからしょうがない。



人間は、自然から疎外された(自然との)インターフェイスなのであり、
万物の霊長だとか、世界の覇者Master of The Worldづらしていても、
<自然>と<カウンター自然>との間を
所在なく右往左往しているものなのです。



類人猿と袂(たもと)を分けた時点で、
自然から外された運命を辿るしかなかったのだ。



人間の作り上げた農機具や、橋やビルディングや、兵器やコンピュータも、
もう一つの「自然」であり、自然とのインターフェイスです。
人間は、「もう一つの自然」を創りあげた存在だと理解していた方がいい。
橋は人工物ですが、皆さん、自然にあるものと思いなしているじゃありませんか。
橋も道路も家もビルもバスも電気も、<自然>の方に結びつけられています。
手付かずの自然からハイパー自然まで、多層の、<自然>がある。
 ややこしい「理屈」のように聞こえるかもしれませんが、
 常識を理屈めかして言っているだけです。
 人間だけが世界をややこしくしたがる。



「自然哲学」とか高級そうな言葉がありますが、
なんの、みんな骨身にしみて分かっていることばかりです。



えー、「建築」と漢字で書くと固いんですが、
要するに「ころも」なんですよ。
石や土、木、皮革、布、紙、コンクリート、鉄筋、トタン、
その他、TVや電話、ハッブル望遠鏡、人工衛星等々まで、
人体の第二の皮膚、と申せましょう。
細胞にとっての細胞膜みたいなもので、
一部のエコロジストやナチュラリストが言うようにゃあ、
いまさら引き剥がせるものではあるまい。



知覚皮膚=眼、耳、舌や皮膚の熱・圧等の触覚、までも含めたうえで、
「皮膜」が増殖している、と考えた方が、理にかなっています。



 「内臓感覚」まで話を持っていければ、これはおもしろいのですが、
 残念です、ぼくの守備範囲を超えております。
 個々人の「内部化」された知覚皮膜だと今は言っておきます。
 つまり、内臓された皮膚だとぼくは考えている。



 進化した腔腸動物。一本のチュ-ブ、と見立てて、
 裏返してみれば、そうなる理屈だ。



めまいがしそうになるほど面白く・ややこしくなったところで、
段取りどおり、「お手上げ」です。
ナカムラ式弁証法の破綻である、
とスガハラ君などに言われそうである。



「同報版」は、本日をもってしばらく休眠します。
リューマチ野郎の円鏡本橋なんかは、
迷惑メールが来なくなりゃほっとするぜ、ってやがる。
I'll be back



10年近く前にも、Outlook Expressでの送信を試みたことがあります。
ダメでした。
その設定作業をまたやらなければいけないと思うと気が重くなる。



いつの日か、またお会いしましょう。
(いやだろーけど。)
PS.当方のアドレスは変わりません。



 ■物乞いをして借り歩いても生き続け■
 ■  あしたは闘いに出かけるのだ  ■
             エマーソン、レイク&パーマー