昨今、大人だけじゃなく、
子供にとっても嫌な渡世になっておるようです。
幼くして世知辛い世の中に叩き込まれるとか、
たんなる労働力として奴隷のようにこき使われるとかではなく、
もっと別の、いやーな圧力にさらされているのではないか
と思われます。
ストリート・チルドレンの方が、ずっと人間らしい、
というぐらいの。
頑是無き子供らに世の罪をなすりつけてはいけない、
と、わたしも思うのであります。
「遊びやせんと生まれけむ 戯れせんと生まれけむ」
(『梁塵秘抄』)ですのにねえ。
子供たちの受難のまず最初は、母(母胎)との親和の欠如です。
胎児は魚のようなもので、意識などありようがない、
と思ったら大間違いで、
「この子なんか邪魔くさい」とか、
「まずいことに出来ちゃった」とか、
母親が子に強い違和を抱いていると、
その違和は、ほぼ確実に胎児・乳児の<原意識><深意識>に
組み込まれます。
これはカルトでもオカルトでもありません。
まっとうで慎重な研究の成果です。
(『胎児も夢を見る』とかいう本参照。)
胎児や乳児をなめてはいけないのです。
次に障害になりうるのは、両親の不和です。
説明は要らないでしょう。
子どもには、所在(落ち着き場所)を保障すべきです。
この二つの要件をクリアできれば、90%問題は発生しないでしょう。
私の持っている情報機関「高知七輪愛好会」の総力を挙げた調査結
果を見れば、その内訳は、前者が60%、後者が30%、という卦が
出てました。
「父親よ、家庭に帰れ」
外で飲んだくれていないで、家で鍋をつつきましょう、とか、
「父権の復活を」
家庭教育に父親も参加せよ、とか言っている馬鹿者がおりますが、
なに、(父は)たいしたパーセンテージを持っちゃいないのです。
「俺の背中を見ておれ」
これでいいのです。
問題の半分以上を母親が持っている、と私は断言します。
子供を持つことの「覚悟」もない母親が、まあ、あふれておる。
否も応もなく、避けがたく、<自然>のように
かれの置かれた世界を呼吸して生きて行くのが、子供らなのです。
至福であろうと、不安と恐怖に満ちていようと。
「不安」の発生について考えてみましょう。
胎生期の平安の妨害もあり得ることは
(前述のように)考えられますが、それを除外すると、
最大の不安は、出産つまり子宮からの排除(疎外)です。
フロイトは、これが不安の起源であると考えました。
フロイトの言説には、「なるほど、そうだったのか」
と思わせるところが大変多いのですが、これもその一つです。
理屈を付ける(屁理屈、でも)、物事の理路をうち立てる、
というドイツ哲学系の正系を感じます。
哲学的サーフィンの快ですね。
なぜ、暗く狭苦しい胎内から外に出ることを解放ととらえられず
「排除」と感じるんのでしょうか。
「外の世界って、ちょーさいこー」ほどでなくても、
なぜ、自然の流れと甘受できず、
恐怖に満ちた外界に「追放」されたかのように感じるのでしょうか。
ポルトマンは、「人間は早産なのだ」と言いました。
ふつうの動物なら、出産後、すぐに脚が立ち、
親と行動を共にできます。
有袋類ならもう一つの安全地帯が用意されています。
ところが人間ときたら、ぎゃーぎゃー泣くだけで、
母親の乳を飲むことしか能力がありません。
異常に脳が大きく、身体の方は異常に未成熟で生まれてくるのです。
だいたい、首がすわるまで3ヶ月もかかるなんて動物は、いません。
特異的に、ひ弱に生まれてしまうのが人間だと言えるでしょう。
アドルフ・ポルトマン『人間はどこまで動物か』(岩波新書)
「ははよ、ははよ」と呼ぶことが、
人間の子の精一杯の生命活動なのです。
母親がその声に応えられなければ、その子は、「アウト」です。
これが、人間の「不安」の起源だと私は考えます。
いろいろな不安神経症・フォビアは、それを想起することを
何らかの圧力によって強いられているのだと考えられます。
さて、その子もすくすく育って、はや元服です。
今で言う成人式ですな。
ティーンエイジャーで成人ですから、昔の人は偉いものです。
生理的(性的)には立派な男と女ですから、
それでいいと言えば言えます。
マハトマのガンジーさんなんか、13歳で結婚して、
がんがん( ピー )していたといいます。
呆れるじゃあありませんか。
ガキのくせに太え野郎だ。
うらやましいというかなんというか。
ところが今は、18歳で結婚しても「まだまだ若い」と言われます。
じゃあ、その間、何をやってるかてえと、勉強です。
国語算数理科社会、倫理道徳音楽図工。
何が楽しいか知りませんが、人間はたいしたものです。
生まれて、飯食って、子供作って、死ぬ、
という生命活動以上のことをしないと、一人前になれません。
じゃあ、それまでは、人間以前の「動物」か?
ところが、10何歳で「動物」的にはとうに成人しているのです。
それなのに、「勉強」ですか?
それじゃ、リピドー(フロイトの言葉を借ります)としたら
愉快な仕事、とは言えないでしょうね。
「おいら、ぐれちゃう」と、かれは言うかもしれません。
人間にも、もちろん言い分はあります。
「人間とは、生命以外なのだ。
400万年前、類人猿から外れて以来、石器時代からコンピュータ
まで、人類の全史を追体験しなければ人間になれないのだ。
ちょうど、胎内で系統発生を繰り返すように。」
これじゃ、人間もたいへんだ。
仕事が多すぎます。
つまり、人間の富でありながら、同時にたいへんな重みなんです。
この辺のとこが、ティーン・エイジへの圧力だということです。
いっそ、子供なんか作らない方が、子供のためではないでしょうか?
これはアイロニーのつもりなんですが、
実際、出生率は激減しております。
結婚するのさえ大儀がる奴が多い。
昔はな、羊や馬以上に子は子宝じゃった。
貴重な労働力でもあったし、家(名)や稼業や資産を継ぐ人材でも
あり、老後の守でもありました。
今は、どう言えばいいんでしょう。
ペットみたいなもの、になっております。
恣意的な愛玩動物のようなものです。
うちとこは大事に育てているが、
お隣さんは可愛くないらしく、虐待している、
てなことが気ままにおきることになる。
子供が産まれることによって親は親になる、と申します。
けれど、親になりたくない親もいるわけですから、
当てにはなりません。
なぜ、このような生命(種)維持の基幹に関わることが
恣意に委ねられるってことがありえるんでしょうか?
わかりません。
「親の因果が子に報い」なんでしょうか。
人間の知=人智自体が、人間に対するとんがった圧力になっている
ことは、まずご承知おき願わねばなりません。
知の膨張を止められない以上、知の仕事は、
知の圧力自体を「理解」することです。
うへー、まだすることあるの?
と、学校を卒業したにんじんは言いました。
(ルナール『にんじん』)
この項続く、かも。 2002.4.8