こんなことは、滅多にないぞ。
ふだんは「メモ帳」で書いておいて、コピペするんだ。
酒は入っているが、ネタはない。
ネタなしで舞台に上がった芸人、です。
あー、これだけで3分過ぎたよ。
ウルトラマンは消えるぞ。シュワッチ。



あ~あ、
やっぱ、無理です。接続しての直打ちは。
コピーし「メモ帳」に帰ってまいりました。
やれやれ、一時は頭の中が無政府状態になっていましたで。
のんびりが一番ですなー。
得意の「自動筆記」法も、締め切り時間の法の前では、無力。



時間というのを何とかして作れないものか。
人間は考えた。
神を畏れぬ技(わざ)を。
A地点からB地点までの移動に要する時間は可変的だ、
という経験則は、元始「一般相対性理論」でした。



1.声。ずーっと遅れて、記述される言語。
 複雑な情報を伝える音声による言葉から、
 それを缶詰にして遠隔地に送致する「書かれる」言葉へ。
2.ロコモーション。
 車の発明。コロから車輪、蒸気機関、ダイムラーのエンジン。
 そして、飛行機。
3.テキストの送信。
 1445年グーテンベルクから、1835年モールス電信機発明、
 ラジオ、TV、FAX。インターネット。
4.超能力者による遠隔察知。
 これは身に余りますよって、略。あはは。



所要時間は、ことほど左様に可変的で短縮しえる。
ただ、忘れて欲しくはないのが、短縮するのにかかるコストです。
クロノスが無慈悲であると同様に、このコスト、なかなかどうして無償の人類への招福というわけにはまいらなかった。
うまく書けそうにないので、以下略。



人間は時間をも創造した。
これが「バベルの塔」みたいに神の怒りに抵触しなければいいが。



「16歳娘が警官の父殺害」(京都)
「お父さんが嫌いやから殺した」そうです。
みなさん!生き延びようと思ったら、我が子に嫌われないことです。
何でや?なんで我が子に戦々恐々としておらねばならんのや?



柳田国男の『山の人生』の冒頭には次のエピソードが収められています。禍々(まがまが)しいのですが、家族というのはこういうものを指すのではないかなあと思わせるものです。



西美濃の山の中で炭を焼く50ばかりの男が、子供を2人まで、鉞(まさかり)で切り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには13になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じくらいの小娘を貰って来て、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻って来て、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、ずっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
目がさめてみると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。二人の子供がその日当たりの処にしゃがみこんで、しきりに何かしているので、傍らへ行ってみたら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いていた。お父(とう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。



柳田がさらりと持ってきたこのエピソードには、千金の重みがある。
柳田国男、すごいです。