少女らは、
シンデレラの夢ばかり見ているわけではないのだよ。



ガールフレンドのSが、
ガンダム系の「イベント」に行ってきたと写真を見せてくれた。



何だと思えば、これが、いわゆる「コスプレ」ですねんわ。
小娘らが、手作りのコスチュームを身にまとい、ポーズしておる。



カタギの衆は出入り禁止!の気迫があります。
オカマ用語で言えば、「のんけ」の人はお断り、みたいな。



強面(こわもて)のガードではないんで、
そっと守ってあげてもいいかな-、
という気になる人もいるんじやないでしょうか。



わたしは、窓の向こうの屋楓瓦を見て、そう思いました。
なんてはかない秘密基地なんだ-、つてね。



この小娘ら、シンデレラの夢を放棄して、
MONO-SEXで行く気なのかもしれない。
宝塚かい、こいつら。
ちやんと仕事して、
ちやんとボーフレンドをつくらんかい!



そんなヤボなことは、あたしやー言わない。



そりやー、あなた、世の中つまらない男ばかりかもしれませんよ。
でもね、それはお互い様でしょうが?
機会均等です。
つまらぬ女(男)が、つまらぬ男(女)を育てている
んじやありませんか?



一般論ですがね。



わたくし、少女の味方です。



 マイナーだって、いーじゃないの。
脱構築のご時世ではないか(ちょっと古いけど)。
彼女らにとって、(誰に迷惑もかけず)一時の出家・遁世なのかも
しれない。
 これを考えすぎると、
一時なんてものじやなく、脱「家庭構築」の先触れではないか、
となってしまう。
違いますよね-。
「違います。飛躍のし過ぎ、考えすぎです」と言ってほしい。
のですが、確かに、そーゆー兆候もアリ、かな、って。
 どーっすか?その辺のとこ、マジで。



あちしが言いましょうか?
「家族」にも、脱・構築です!



連れ合いや子供が、個人の(首にぶら下げられた)重石と思われる
時代に突入しつつある。
かつては、その重さは社会に分散していた。
自然に・フツーに暮らし、家族を作り、老い朽ちて死んでいった。
今は、家族を作るメリットはあるのか?と考えてしまうのだ。
社会が豊かになり、我が身だけの一代はなんとかなる、
ということでしょうか。
それともですね、逆に、社会の方が貧しくなり、
次の社会・次世代を構築するポテンシャルを喪くしつつある
のでしょうか。



岸和田の「100回も殺されたような」中学3年生の両親は、
子供なぞいなくてもいい、ない方がいいのだ、と考えていました。



「なんという恐ろしい。鬼のような親じや。」
なぞとトボケないでもらいたい。
子供に何も与えられない親が勢力を拡大しているのだ。
彼らは所詮少数派で、われわれはいつまでも多数派の圏内である
と思える人はその幸せをかみしめるがよかろう。
新聞紙上にネタを提供する「少数派」をオカズにしてネ。
ちょっとした繕い物や料理の技術、
知性や常識や、しつけや、金など、
または、「生きること」「父とは何か、母とは何か」というふうな
<姿勢>、あるいは、日々の食事でさえ、
子供の生きる糧になるものを伝え(与え)られない親が増えている
ことに(新聞沙汰にになろうがなるまいが)
お気づきの方は多いでしょう。
与えるものを持たない、スッテンテンのスッカラカンの親御様たち!



彼らの波は、あなたの「幸せの御殿」の足元を
ひたひたと洗っている。
と、考えてみるのも一興かと存じます。



家族に関する事件に注目してみてください。



P S.
A型インフルエンザでした.、
僕は、風邪ごときで病院へ行ったことはありません。
病院って、病人ばっかり集まっているでしょ。きらいです。
まわりの者が、「行け行け」言うものだから、行きました。
鼻に綿棒を突っ込み粘膜をかきとり、検出キットで見てみれば、
「陽性反応」。
それを見てから寝込んでしまったのは言うまでもありません。
                         2004.2.7