家なんか、どうでもいいのである。
雨露さえしのげれば、十分なのである。
わたしの邸宅には、テニスコートと25メートルのプールや、
地下室にはビリヤード台、カウンターバー、
屋上には天体観測用のドームなどあるが、
そんなものは、男を磨くのに、何の役にも立たないのである。
男を磨くのは、書斎である。
書斎、なのである。
子供部屋なんか、要るもんか!
ちゃぶ台か、みかん箱があればいいのである。
子供部屋作って、書斎がない、なんていう家は、
とっとと滅んで行くべきなのである。
太宰治は、「子供より親が大事と思いたい」と言った。
「家庭の平和は、諸悪の根源」とも。
明石家さんまは、「家庭は男の安住の場所ではない」と言った。
男の防塁は、書斎である。
男は、そこで宇宙論を磨くのである。
男は、遠くまで行かなくてはいけない。
宇宙の果てまで、遊行するんだ。
子供の発するピコピコ音や、女房の発する金切り声から遠く離れて。
いずれ男は使い捨てなんだ。
どうせトホホな人生ならば、今のうち無茶は言っとくほうがいい。
神さまは、きっと許してくださる。
ヘラヘラといいパパぶりを発揮している男のそばで、
死に神は微笑んでいるのである。
男の行くべき所と、逃げ行く所は、同じである。
書斎は、150億光年の時空の場所なのである。
書斎は、その覚悟の在所なのだ。
女・子供の立ち入る所ではなーい!
「書斎」・・・
ああ、なんて甘美な響きなんだしょ。
わたしは、三畳の物置改の書斎で、
せめて、四畳半あればなー、と、たばこをくゆらすのである。
「本なんか読みゃせんのに!?」
そんなことは問題ではない!絶対に、ない!
どこの家庭でも男は迫害されている、という事実を、
だれも言挙げしないのが、わたしには理解できない。
迫害するにも値しない男ばかりなのか?
男は、いいですか、迫害されてナンボなのである。
「預言者は家郷には容れられない」と、キリストは言った。
よござんすか、言い換えれば、家郷に居れば、あなたのパワーは
封殺されたままだ、ということなのである。
もし、あなたがそこから逃れられなければ、
あなたのいる場所で防塁を築け、トーチかを!男どもよ。
武器を持て!男どもよ。
迫害に抗せよ!男どもよ。
バリケードを築き、侵略者を撃破せよ!
「ウーマン・リブ」?
馬鹿も休み休み言え。
キリストは、「迫害されている人のために祈れ」と言ったのに、
好戦的な女史どもは、打って出ようとしているのだ。
聖母はどこへ行ったんだろう・・・。
「男はつらいよ」
「自立とは、後退戦における内的闘争のイデーである」
と谷川雁は言った。
男を磨く戦場は、さよう、じりじりと押し下げられる後退戦上に
ある、と自覚するべきである。
♪家を建てるならー、わたしは言いたい。
立って半畳、寝て一畳
男の書斎は四畳半
あとはどうなと構わゃせぬ
次回は、男のダンディズムについて、ビシッと決めてやります。
かも。 2003.3.6