アカシアがどんな木で、アカシアの雨がどんな雨なのかも知らない幼少のオイラにも、陰鬱であるはずの死と雨が、雲の間から差す光りのようにヘンに明るいのを感じていたのだった。
歌謡曲で死が歌われるのは、アカンやないか?
死が消滅ではなく、生の痕跡を証明するためにもある、ことを教える童謡みたいなものだったんだな、ワシらにとって、また当時の青少年にとって、教育的歌謡曲なのでありました。
60年安保闘争の活動家諸君だけではなく、頑是無き青少年にまで与えた影響は計り知れないほどの記念碑になっております。この歌をどう感受したかで、彼のそれからの方向がある程度方向付けられた、と言っても過言ではないでしょう。
寺山修司もことのほかこの歌を愛していたっけ。
歌は世につれ、世は歌につれ。
『トコトンヤレ節』『枯れすすき』『戦友』『人生の並木道』『チャンチキおけさ』から『神田川』『恋のビヨーン』、みなさん、それぞれの歌を作り出していった。ぼくが千昌夫の『星影のワルツ』やキングトーンズの『グッナイト・ベイビ』が好きなように、それぞれが勝手に「歌い手」を作り出したのだ。
文学者や、建築家や、美術家や、工芸家や、写真屋、町のふすま屋や豆腐屋、公務員など、みんなわたしたちには要る。みんな、その道の「歌い手」なのだ。みんな、「すまんが茶碗を作ってくれ」とお願いした職人たちなのだ。
自分の人並み外れた才能だけで作品が生まれたと思ったら大間違いです。発注者もしくはパトロンがいなければ、どんな芸術作品も成り立たない。
口直しに、マドンナでも聴いてみる?
http://www.youtube.com/watch?v=woQ6pi1KNSc
三笠宮殿下がアル中だって?
やんごとなき宮中でも、酒でも飲まなきゃやってられない、ということかもしれない。臣民諸君は大目に見てやりましょう。
酒にも事欠く貧乏臣民に愛の手を。