Outlook Expressは使えないって!。
この印象はぬぐい難い。
編集画面でも、ちとヘンだ。
S氏は、
メールのヘッダ情報だけを取りに行くメーラーは基本中の基本なんです。
アウトルックは変態です。
と断言していました。
ヘッダー部分にウィルスを混入させるテクニックもあるかも知れませんが、
リスクは大幅に少なくなるはずです。
なんでOutlook Expressが世界一のメーラーなのか、解せない。
覇王マイクロソフトに随伴しているだけではないのか?
骨の髄まで王に擦り寄る奴隷根性、かね?
反ウィルス戦に倦んじ果てている最中に、
セリーヌの 『夜の果ての旅』(中央公論社『世界の文学』)500頁!、
読んでしまいました。
すごいやろ?
わたしの読書史上(^^!)でも、まれな大偉業と言えます。
よほど暇だったんだな、と言われれば、返す言葉もない。
よほど面白かったんだな、と言っていただきたいものです。
やっぱり、暇だったんだ・・・
以前、彼の葬式のシーン(法華経の読経がポリフォニックだった云々)で紹介した、
高校時代の山岳部の先輩T氏が、
晩年、しきりに「セリーヌを読みたい」と言っていたのを思い出します。
彼は、岩場から滑落して死んだ、のでなく、
酒飲んで階段を滑落して死んだ。
人間や世界や戦争や、なべて<同類>というものに対する嫌悪(と愛)、
これが鼻につく、とあなたが言うなら、はい、それまでよ、です。
あなたはあなたの人生を大いに楽しめばよかろう。
嫌味の一つも言う気がしない。
某氏へのFAXメールをコピーします。
『90分でわかるデリダ』を60分で読んだら、3分の2しか理解できなかった。
セーヌ左岸派は、きりきり舞いをしながら重箱の隅に突入している。
オケラのように。
哲学の終焉を告知するために。とにかく、
思考のどん詰まりまで行こうじゃないか!
フランスにはそんな(デカルト以来の)明晰な意思があるようです。
サルトルにもカミユにもフッサ―ルにも。
または、メロポン(唐十郎は彼をそう呼んでいた)ことメルロ・ポンティやロラン・バルトやフーコーにも。
混沌は世界のごみ溜め=アメリカにでも任せておいたらいい、
とでも言いたそうだ。
フランスの「ゴミ」は、
ランボーからシュール・レアリストやセリーヌへ手渡され、
アメリカのドス・パソスやジャック・ケルワックやギンズバーグや
ヘンリー・ミラーに伝わった。・・・・・・フランスに何が残ったのだ?
その昔、パリのコンセル・バトワール留学中、
(同期に、その後ショパン・コンクールで優勝したブーニンがいました)
サンジェルマン・デ・プレの喫茶店「ドゥマゴ」で、サルトルとよく論争しました。
「あなたは<実存>に向かえばいい。でも、フランスに何が残ったのだ?」と。
彼が何と答えたか、分かります?
「解放と解体、この二つで十分さ。
現に人間はいまだに存在をやめていない、だろ?」ってね。
「あらあら、お二人さん、いい加減にしといたら?
ポール、東洋の青年をいじめちゃダメじゃない。」と言いいながら、
ボーヴォワールさんが新しいコーヒーを持ってきてくれたっけ。
思考は、思考のために思考する。
その純化をフランス哲学は為した。
立派なものだ。掛け値なしに。
サルトルもね。
※上記、大ウソが一部混入しました。ばれてないよね。・・・
「モスクワへ行きましょうよ。モスクワへ。」とチェーホフの『桜の園』に。
人間には、逃れて行く先を、(お互いに)保障しなくちゃだめだ。
逃げ道を封鎖するのは、文学か哲学か宗教か、いずれにせよ、
実生活に危険を及ばさない範囲ですればよいことだ。
政治・経済では、禁じ手である。
・・・とは言ったものの、危険でない(毒のない)哲学(や文学・宗教)など意味がない!と、ニーチェあたりから文句が来そうです。
ややこしいから、後日にということにして、
あなたは勝手に考えといてくださいな。
で、セリーヌから何を読んだのか?
残念です。紙数が尽きました。
(→んなものは、ない!)
糸満の長老、岡部老師は、「笑いなさい。そして赦しなさい。」と言いました。
和田アキコも♪笑ってゆるして、って。