1949落花生とはよく言ったものだ。
土中に生(な)るものとはもちろん知ってはいたが、まさか、受粉して地中にもぐって行くとは知らなんだ。
にわかファーマーには驚くべき生態でした。
そこいらの豆と一緒にしないでくれ!
という主義主張のある反骨のお豆さんなのでした。
 当地では、ソコマメ(底豆?)と呼ぶ。
 食べるのはひと月ほど乾燥させてからです。



世の中には知らんことが多すぎる。
知ったかぶりは厳に戒めるべきだと思う。
さんざ、駄法螺吹いてきたわたしだって、
反省すべき所は反省します、ってば。
「反省猿」なみの反省ではありますけども。



写真は、植木昇氏の「大いなるオブゼ」(1950年)。
土門拳や植田正治、木村伊兵衛、桑原甲子雄、大竹省二等々、
新聞社雇われカメラマンから町のカメラ持ちまで、
写真に何ができるのか、飢えた眼で渉猟していた時代でした。
飢えた眼でないと獲物は見えないのだな。



 あーん、写真撮りてーよー。
 ・・・自分の文章で鼓舞されとりゃ世話ねーや。



隣に植えてあった枝豆がとんと実入りが悪かったので、
予想はしていたが、ピ-ナッツの実は小さかった。
買った方が安くついた。
経営的にはペイしない家庭菜園主義者、でした。
そんなものだよ。・・・どこが悪い!?
世間の流通経済と一線をかくした自分の帝国を作りたいと思うのは、(『地獄の黙示録 Apocalypse Now 』の)カーツ大佐以来の、男のロマンである。依存体系の一隅に居を構えるのが男の本懐ではなーい、のである。であるからこそ、依存体系を構築するのが近代経済であるという経済学のセオリーから逸脱するところの「家庭菜園」が、思想的な!重みを持つのである。
ってか。・・・笑えます。あははは。