長兄晋一郎、11月2日、午後9時45分死去。
享年75歳。
「間質性肺炎」とやらで、手の施しようがないものでした。
年は離れていますが、いい兄貴でした。



ぼくが小学生か中学生かの時には、
彼はマミヤの2眼レフなんか持っており、
たまに実家に帰って来た時など、納屋の2階の彼の部屋で
夜遅くまで写真の現像を手伝わされた。
焼き付け機(?)で印画紙に何秒聞か露光し、
定着液に数十秒浸し、水で洗う、という作業を延々続けた。
もちろん、ぽくは眠くてしょうがないのですが、
赤い電球の下で、印画紙に徐々に浮き上がってくる画像が
魔法のように見えたのだ。



 眠気に圧倒されている時に見る世界が、
 幼児期から少年期の黄金時代を形成する!
 なんてことも考えられる。



兄は読書家でもあった。
彼の息子は、父親の1万数千冊の蔵書を管理するために、
書庫を建築中でした。
兄の死がひと月遅ければ、完成を見られたろうが。



11月4日、
告別式が済んだ夜、姉とその息子らがわが家になだれ込んで来て、
彼(ぼくの甥に当たる、けれど、ぽくの一つ上)が、
しみじみ言った。
「俺らが本を読むようになったのは、晋ちゃんの影響だよな-。」



 この男、一介の料理人なんですが、
 人脈で高知市政のアンダーグラウンド(やくざから役所仕事の)
 をよく知っており、うまくおだてたら、
 『高知アンダーグラウンド』なんてのも書けるかもしれない。
 話を聞いてると、「市政」なんてのは、ひでえもんだな。
 酒呑んでいたから再録できないのが残念。



ぽくが高校の時、
彼の『わが友、トニオ・クレーゲル』という文章が、
高知新聞に掲載されており、驚きました。
うず高く積まれた本の山をバックに幼い二人の子供をかかえた写真も
大きく載っていました。



おいおい、『トニオ・クレーゲル』ちゅうのは、
ひょっとしてプンガク?
おいらは、本と言えば、推理小説かSF小説しか知らなんだよ-!
でね、あわてて文庫本を買ってきて、
修学旅行の道中では、すっかり文学少年気取りのバスの中。
ところが、ちっとも面白くない。
うだうだ七面倒くさいのに、「真犯人」が出てこない!
『ドクトルまんぽう航海記』にすれば良かった、と思いました。



ま、修学旅行にこの手の本を持っていくという
(すねた)心意気がね、尊いのだ。ってばさ。
 ♪すねた、その目が、かわいいぜ。
 と、当時、石原裕次郎も言っていました。(?)



彼は、電蓄を買い込んだくらいだから、音楽も好きでした。
ソノ・シートや、LPの「ハンガリア狂詩曲(リスト〉」など
聞いていました。
チャック・べリーやジーン・ビンセントだったら
もっと良かったのに・・・。



映画も大好きで、映画雑誌もいっぱい持っていました、が、
不肖のわたくしめが雨漏りするところに置いたため、
この「お宝」のかなりの部数をダメにしてしまいました。
バカは死ななきゃ治らない。



絵も好きで、退職後、絵画教室に通って本格的にやりだした。
展示会をするというので、見に行ったら、驚いた。
腕を上げておるのだ。
修練侮るべからず。



漱石の猫なら、市井の趣味人の典型と軽くいなすかもしれないが、
兄貴分として、とてもいい存在だったと思えます。
みなさんは「いい兄貴分」をお持ちですか?
ぼくは一時、江藤淳みたいな兄貴分がいたらなあ、
と思っていたことがあります。
               2006.11.22 いつまでも不肖の弟