以前、S氏のメールによると、
これで死ぬ人もいるとのことでしたが、如何ですか?
インターネットとやらでweb張っているんだから、
まだ生きているようではありますけど。
じっさい、インターネットて、あの世かこの世か
分からん世界やな。
実はですね、同居人もそれです。
「あんたはどう? 昼間、どーんと眠くなることない?」
と聞かれました。
うーん、ある、ある、ありますがな!
立ったまんま、睡魔に引きずり込まれること少なからず。
ぼくも、睡眠時なんとか症なのかもしれません。
昼飯の後眠くなるのも立派な病気だとは知らなかったぜ。
ま、病気を一つ二つ持っているのは珍しいことでもないでしょう。
でもね、
病気の発見は、新大陸の発見と同じほどの価値があります。
肉体の新大陸です。
病院の待合室での「病気自慢」は、故のないことではない。
他人には見えない(見えにくい)けれど、
「自己(の肉体〉発見」の航海をするコロンブス、なのだよ。
きっと。
同様に、医者は病気を見つけたがるし、また、直したがる。
医者にとって病気は肉体の「邪宗」なんですから、
殲滅戦に持っていこうとする。十字軍みたいに。
当の本人が、
肉体の<異和>とのつき合い方を探しあぐねているとき、
すぐさま「戦時下体制」に持って行こうとする。
つまり、「戒厳令」ですねえ。
「病人」の称号を得、「収容所(病院)」に強制収容、
という段取りです。
「病気」を発見したがる、のも、文明病の一つかもしれません。
少なくとも、文明、ではあります。
ちょいと前までは、「因果応報」か「崇り」だったんですから。
ペスト菌もビタミンCもウイルスも「水銀中毒」も
存在しなかったです。
誰某の家にカラスが留まった、
(ほどなく、その家から病人or死者が出た〉
不吉だからその家は燃やしてしまったほうがいい。
ま、そういったことです。
これは、「そんなアホな」のジョークではありません。
実際に、「因果」と考えられていた時代はあるのです。
これを僕は、「因果律のジャンプ」と呼んでいます。
科学、てのは、因果律です。
原因と結果を結びつけるロジックです。
近世以前は、ロジックが追いつかないショートカットが
張りめぐらされていました。
決して、「無知蒙昧」だったからではありません。
これについては、別の機会に書くこともあるでしょう。
近代人の「(古典的)呪縛」、
興味のあるテーマではないでしょうか。
ホメオスタシスに対する異物=乱流は、生体の一つの照明だ。
つまづく石は、石の発見です。
とすればだよ、石をどけるというやりかたの他に、
石との交流=友好関係ちゅうのんも考えられる。
以前、「人間は病気にすがって生きているのだ」と書きました。
小林秀雄は、
「君が病者であることが分かったのなら、
病者の特権だけ信じたまえ」と言いました。
その通りになりました。
そこらの唾棄すべき「犯罪者」も、御大尽面した奴も、
みんな彼の病理に従って生きてきたのです。(注)
それを「天命」だとか「宿命」だとか言っているのです。
人間はそれ(彼の人生)よりほかに生きようがないのだ、
という意味でね。
ですから、どんなチンケな人間も、その病理も、
侮ってはいけない、とおいらは思うのだ。
(注)
病理に従って? 抗(あらが)って、の間違いではないのか?
というあなたのつっこみは、鋭い。
個性を樹立することは、「抵抗」と不可分です。
予告編
新約聖書では、
「そんなことは、取税人でもパリサイ人でもするではないか。」
といったセリフがよく出てきます。
つまらぬ人間が人間だったら、人間以上になるべきだ、
てのが、新約の世界の上昇意識です。
俗な<他>と分離しながら「神」のレベルに近づく、みたいな。
場所を改めてまた書きます。絶対面白いからそのつもりで。
P S.
昨年12月2日は、
風呂記念日でした(憶えているというのももの凄い)。
半年間以上、風呂に入ったことがなかった。
シャワーばかりだった、という意味ですけど。
それから風呂に入ったのは、10回ぐらいか?
シャワーを発明した人は、ほんとに偉いと思います。
先の大東亜戦争で我が日本帝国が負けたのは、
シャワーのあるなしであったと、僕は考えておる。
日本の行水文化は世界に冠たるものである!
それがシャワーごときに負けてしまったのぢゃ。
債は口惜(くや)しい。
ええか、みんな、
トルコ風呂や安直シャワーに負けない風呂を作ってくれ!
ゴホ、ゴホ。
お父さん、おかゆが出来たわよ。
2005.5.1