11月23日(日)、
四国山地のド真ん中、
本山という町にある大原富枝の文学館に初めて行きました。
大原富枝はこの地、吉野川上流域の吉野村で、
大正元年(1912年)9月28日生まれました。
遺品全てを、故郷本山町に寄贈したそうです。
彼女の作品を初めて読んだのは、
高知県出身の槇村浩(知る人ぞ知る『間島パルチザンの歌』の作家)
を主題にした『海燕』(?)、
ついで、仙石イエスの「イエスの方舟」を主題にした
『アブラハムの幕舎』。
二つとも文芸誌『海』ではなかったかと思いますが、
憶えていません。
『アブラハムの幕舎』には感動しました。
当時、「イエスの方舟」は、
犯罪的な拉致集団のように新聞では書き立てられていました。
仙石イエスのハーレムだ、という説さえ流れていました。
新聞は赤新聞並みのレベルでしかなかったわけです。
『アブラハムの幕舎』は、
そういう世評に対する見事なアンチ(反論)でした。
「孤独な魂」というものがあって、
それをどう慰謝するのか、が提示されていました。
親は、いきなり失踪してしまった娘について、
ただうろたえるばかりで、
娘の心の所在(安定する場所)を思い計る余裕もない。
寄る辺なき娘は、
「イエスの方舟」(または「アブラハムの幕舎」)に漂着し、
ここの共同生活でやっと魂の浄化を経験し、平安を得る。
大原富枝が、もっと若くて娑婆っ気があったなら、
ここから「オウム真理教」問題になだれ込んでくれた
かもしれません。
文学者にとって心残りな課題であったはずです。
「オウム真理教」を読み解くには、
マイナーなものに心を注ぐ彼女は、純情すぎたのかとも思います。
インテリ講談である『非の器』や『邪宗門』を書いた
高橋和己だったら、
デンデンデデデンと、切り込んで行ったでしょうね。
「オウム真理教」を、
正面切ってでも、斜めからでも、裏からでも、
書いてくれそうな文学者は、
芥川龍之介か太宰治か高橋和己か(時代が違いますけど)、
中上健次か大原富枝か、あと誰でしょうか。
・・・みんな死んでしまった。
村上春樹・竜? 期待できません。
頼むべき文学者は、もういないでしょう。
オウムも、孤独ではあります。
大原富枝、2000年(平成12年)1月27日没。
杉並の書斎をそのまま再現した部屋には、
愛聴していた尾崎豊と中島みゆきのCD、
机の上には新約聖書がありました。
知人のタカハシが、マックのiBOOK G4(白!)を買ってしまいました。生産中止のカシオのワープロ買って喜んでいたヤツが!
2003.11.28