悲恋は男の花道である。
「忍ぶ恋こそまことの恋」
と『葉隠』にあるではないか。
♪愛してると一言いえなくて、
辛い別れに泣いたのさ。
「愛している」そんなこと、男が言えるかよ!
女はその一言を待っている。
・・・にしても、だよ。
この無告、この涙が尊いのだ。
恋が成就した、って、そりゃ、どういう意味になるんだ?
意味なんて、ない。スカスカだ。
言えたことより、言えなかったことが、何層倍も、重い。
「愛している」も「さようなら」も言えない男がいる。
どうぞおいらを捨ててくれ、とも言えないような、
情けない逃げまくりの男も、いないことはない。
それが女にゃ分からない。
我がほうの重力に引かれる「軽さ」に値打ちがあると思っているから。
あるいは、何とでもなってやるのに、と女は思っているのに、
♪連れて逃げてよ、と女は言うのに。
一方、男は自分の自重に圧しひしがれているばかりなのだ。
爆縮する星、これが男ぞ。
好きなんだけど 離れているのさ
遠くで星を見るように
好きなんだけど 黙っているのさ
大事な宝 かくすように
君は僕の心の星 君は僕の宝
壊したくない 壊したくない だから
好きなんだけど 離れているのさ
好きなんだけど 黙っているのさ
と、かつて西郷輝彦は歌った(『星のフラメンコ』1964)。
負け惜しみと言われようが、負け犬の遠吠えと言われようが、
好きな女から逃げる、弱虫男がいるのである。
このときの男は、無限に<神>に近い。
貴種流離、という言葉がある。
桃から生まれた(にすぎない)桃太郎が鬼が島から財宝をぶん取ってきた、とか、源実朝が青森まで生き延びたとか、の民俗譚があまたある。
悲恋は男を貴種に変容させるのである。
♪命短し 恋せよ乙女
男は逃げる。「逃亡者」のように。
けれど、置いて行った「君(女)」は、男の心を無限に重くするのだ。
男を重たくした罪、を女も負わなくてはならない。
註・・・「爆縮」=太陽クラスの星が臨終期に大爆発し、表層がガスとして解放されたあとに、残された質量が爆発の反作用およびその自重によって縮退すること。ブラックホールになることもある。
私の説明は、へへ、眉唾です。
この項、またいづれの日にか書くこともありましょう。
憎っくき仇に、出逢いたいから。