闘わない日本人
「全共闘世代」と称されることもあるが、700万~770万人とも言われるこの世代に占める「全共闘」人口は1%にも満たないだろうに、これを代表選手の如くに遇するのは、正しいだろうか。
正しい、と思う。と言うか、そう考えた方が何かと便利。
反「全共闘」が3割、無関心派が5割、あとの2割を心情共鳴派「ノンポリ」「ノンセクト」と活動家、ざっとそんなものとしましょう。
2割は多すぎる?いやいや、バックグランドはそれぐらいあったでしょう。それだけでもエネルギー供給は十分です。14万人の有形無形の支援があったと考えて差し支えないのではないでしょうか。
思想潮流としては、2割あれば十分すぎる。
アクティブが2割あればネガティブ(アンチを含む)の4割を凌駕しうる、ことは歴史的に証明されています。(^^! 汗)
早い話、景気のいい方に人はなびく、ってね。
人を舐めたような物言いはしたくないのだ。
オレ様を含めニンゲンがそんなに偉いわけは、なーい。
知的であるかどうかには関わりなく、
(ありうべき)心情の動向として私は言っている。
団塊の世代が何をしてきたと言うんだ?
と、面と向かって聞かれると返答に窮する。
戦中派世代(の父親・母親)が作りあげた「戦後(民主主義)」と「高度成長」を存分に呼吸して育っただけで、発言力を練り上げる苦労もなく、所詮が戦後若旦那世代ではなかったのか。
総代の全共闘派にしてから「権力」を築き上げることに既に嫌気がさしているのだ。
・・・という異見もありえます。
ぼくも少しそんな思いでおります。
電気炊飯器・洗濯機・掃除機・冷蔵庫、真空管→トランジスタ→IC、自家用車、液晶、パソコン、人工衛星、衛星通信、アポロ11号からバブルまで。これら全て父親らの前世代が作りあげた富です。親父らの財産のおいしい所を劇的に味わいつくした世代が「団塊の世代」なのでした。たった20年で史上もっともドラマチックな「高度成長」を堪能した世代です。
それだけではなく、児童期に先輩・後輩共にして遊びを組み立てえた最後の世代という得がたい富を体験していることも申し添えていたほうがいいかもしれません。
美食に足りたこの連中に残されているのは、「思い出」か「放言」、でなければ沈黙か「独り言」しかないのかい?
<劇>を自前で作りあげること、要するに組織論のモチーフなんか、いの一番に放棄されたのだ。組織?こりごりだ、ってね。
彼らが創造した唯一の財産が反エスタブリッシュメント「全共闘世代」という幻想です。
戦中派世代が、有言、無言を問わず「敗戦」の価値化を継続して心を注いだのに、この世代は花火のように分散して消滅してしまった。花は桜木、人は全共闘、潔く散って果てた。その後、行方は杳(よう)として知れず、二度と歴史の舞台に登場することはなかった・・・。
(第二次)昭和特攻隊、バブルと共に去りぬ。
・・・そして、廃墟は残った。
ぼくは、この世代を「自己消滅の世代」と呼んでいる。
花の盛りを過ぎたら一刻も早く消え入りたいのだ。
これが彼らの美意識でありダンディズムなのである。
秋田明大はその首魁ではないでしょうか。
ポーランドのワレサのように担ぎ出される、のを自ら拒否した。
「全共闘戦争」(当時東京にいた某氏は「東京戦争」と呼んでいた。
彼のその恥ずかしいレジュメはいつか「お気楽亭」のアーカイブで公表してやるつもり。出来ればパスワードがないと開けられない部屋でね。←出来るんかい?)の敗戦によるこのトホホ感と屈折は、多分父親らとは共有しうるものだろうが、その親父らは死んでしまった。共有しうる世代は、もういまい。歴史上、最も手ひどい孤独を感じているのが「団塊の世代」なのかもしれない。拠って立つ<根拠>が、なにしろ幻想なのだから。ぼくの父親は、「幻想、気の迷いは若い衆の宝や」と言っていました。その宝はなんか利得を産むのか?親父よ。
幻想の価値化という方途を手放さないことを衷心から申し上げたいのであります。当時の乱暴狼藉がだな、今になお価値を持ちえているんか、でございますですよ。
花の命は短くたっていいんだよ。
その後がたいへんな問題なのだよ。
♪何もかも壊れてしまえ もう明日なんか怖くはないし
(あがた森魚『清怨夜曲』)
わたし? ヤなこと聞くねー。
わたしは酒の価値化に忙しいのでアル中であるランボー。
(この項、続く、かも。推定確率15%で。)