070426 ピタゴラスやユークリッド、ニュートン、パスカル、ライプニッツ、カントール、フェルマー、ポアンカレ、アインシュタインetc、彼らがどんな仕事をしたのかは知らないけれど、この世を数式によって翻案しようとした方々だ。
ソクラテスやブッダ、キリスト、カントやヘーゲル、ニーチェ、キルケゴール、宮沢賢治、太宰治などは、数式なしの概念だけでこの世を解こうとした。
どちらが優れた翻案式なのか? 
どちらでもある。
「概念」が使用する言葉がそれぞれにあるだけだ。



ぼくは、数字見るだけで逃げ腰になるのだが、「3平方の定理」や、円周=2πr(でした?)などの数式がどれほどこの世を単純明解にしたことか。美しい!と言ってもいい。
誰かのLPジャケットにデンと、E=mc^2(Eイコールmc二乗、のつもり。指数が書けない)が使われていたことがあった。
『博士の愛した数式』にもサンゼンと輝く数式がちりばめられていた。



小学生の時、九九を憶えられなくて居残りさせられた。
以来、数字を見ると頭が痛くなります。
学校卒業してホッとしているのもつかの間。
「結果出せよー。数字出せよー」と日々社長にドづかれているご同輩も多いでしょう。



もうちょっと数学に親しんでおけば良かった、と思います。
後悔先に立たず。



数字や数式に対する人間の渇望はすさまじいものがある。
数式の箸にはとてもかからないと思われるものも、確率論あたりから換算されるようになった。カルカッタの蝶が羽ばたくとリオデジャネイロに大雨が降る、という「バタフライ効果」も数学的なカオス理論から考えられた。どうせなら、「風・桶効果」と名づけてほしかったがね。
超コンピュータがその根拠を算出するかもしれない。



ああ、数式と言う美しい蝶は、幼いぼくの手を離れてから、二度と帰って来ない。
蝶に限らず、逃したものの多さに愕然とする昨今なんである。
まあ、ぼつぼつ行きましょう。膝も痛いし。