チョコラザウルスで3種をゲット。
アノマロカリスに続いて、
ダチョウみたいなストルチオミムス、
サンショウウオみたいなアカントステガ、
ガメラの先祖・メイオラニア。
その話は、置いといて。
わたしたちが商品を購入するとき、
動機付けの一番に、「必要」が来ます。
豆腐が食いたい、とか、
私の骨がイソフラボンを呼んでいる、とか。
次に、どの店で買うかも決めないといけないし、
同じような商品群の中からどれを選ぶかを決定せねばなりません。
アサヒビールは県敵だからイヤだ、
高知県人だったら、やっぱりキリンラガーだ、とか、
(味も分かりゃしないのに)取りあえず「選択」します。
購入の動機が、「必要」から「選択」に移行したことで、
商品に対する生殺与奪の王権を消費者が手にしました。
商品の価値は消費者が与えるのです。
小売店でも問屋でもなく、
作った当のメーカーでさえ選択肢の一部を提供するにすぎません。
だったら、消費者がメーカーに直接発注して、生産を委託している
と同じではないか?
その通りです。
少なくとも、そのような傾きのあることが認められます。
ただ、現代は基本的に生産・在庫が過多であることは否めません。
そのことがメーカーの収支を苦しめることになっております。
消費者からメーカーへの通路が開通すれば、
過剰生産・過剰在庫からフリーになるはずです。
購入の動機の「選択」には、もう一つの動機が隠されています。
それは、その商品へのシンパシーとともに起動される資本参加です。
メーカー(の資本)と消費者は対概念ですが、
対極に位置すると考えると間違えます。
いわゆる投資とは別ですが、似ています。
購入代金(の一部)は直ちにメーカーの資本として還流します。
メーカーが受け取るのは代金の形を取ったシンパシーです。
ぼくが味覚糖のチョコラザウルスを買うとき、
「食ってしまってハイそれまでよ」ではなく、
「いいものをありがとう。これからも、よろしく頼むよ」
の気が入っています。
つまり、購入が資本参加のつもりなのです。
金ではなく、いいものをペイバック、
そこが「投資」と違うところです。
でも、似てるでしょ。
ビンボなあなたも、みんな立派な資本家なんですねえ。
2001.12.24