ブログに「ads by google」てのが付きます。
バイクという言葉を使えば、すぐさまバイク屋がつく。
はんこ屋の話をアップすれば、はんこ屋のCMが乗ってくる。
トラックバックなら、すぐ消しちまうとこです。
ads by googleてのは、いったい何なんだ?
わたしは許可した覚えはなーい。
まあ、3件ぐらいで目くじら立てることもあるまいか。
・・・それに、タダだし・・・。
先日(1月21日)のNHKのグーグル特集で、御大(おんたい。名前忘れた。ググればいーさ)が、地球上のすべての情報をわが社が提供する旨の壮大な野望を吐露していました。「提供する」の中で「操作」がありうることもNHKは報告しております。情報を一社で支配する、なんてことは(大衆社会では)出来っこないので安心してください。「ターミネーター2」のスカイネット社はありそうで、まずないでしょう。
「大衆社会」と言っても、画一的で十把一絡げな一様的な価値観を持つ「大衆」など存在しない。像としたら「孤立する大衆」に近い。
経済的な問題はさしおき、帰属を拒否し、孤立を乱されるのを嫌うのが現代の大衆というものです。大衆ではない、分衆だ、と言うインテリもいました。
社会からも、近隣からも、また、親や子供からさえ、「孤立」を侵されるのを嫌うようになっている昨今です。寸断され、あえて孤立するのを自ら選んでいるのが今様の「大衆」なのかも知れません。
滅亡種にならなきゃいいけど。
破竹の勢いのgoogleも、今のところインターネットビジネス界の覇王になっているかも知れないが、そんな大衆が権力を持ってくると、「うざってーなー」となりかねない。
「うざい」、これは大衆の拒否権発動です。
若者用語と高をくくっていると火傷(やけど)しまっせ。
同時に、これぐらいのうざったさに耐えられなけりゃ、
あんたの方が先に自滅してしまうぜ、とも言っておきます。
自滅する大衆社会、そんな絵が描けそうな気がします。
現代の大衆社会がサンタンたるものであることは明らかです。
ミクロ化された大衆をどう繋ぎ合わせていくか、
これがgoogleの夢だと言ってもいいでしょう。
コンピュータ社会についてのスケッチは、「バックナンバー」の最旧版に転載してあります。(ごめんね、中原さん。)