アメリカのサブプライムローンの破綻から、金融市場は大揺れ。
経済は物流ではなく、金融がイニシアティブを握っていることを証明することになった。金融市場という言い方もヘンだ。実際は<移動>という符号を与えられた<コード>に過ぎないのに。で、「投機筋」という<ファントム>が世界を牛耳っているという仕儀となったのだ。
でもそんなのおいらにゃカンケーねー。
ドルが売られようと日本が売られようと、知ったことではない。
カンケーねーけど、気にはなる(←ウソっぽい)。
貨幣は、労働が<交換価値>として抽象化されたものです。
Aなる労働とBなる労働は全く別の仕事をしているにも関わらず、それを<等価>と換算したことが「経済」または貨幣の起源です。a量の魚はb量の麻布と交換できる。とすれば、a量の魚=アコヤ貝1ヶ=b量の麻布=c量の金、というように相互兌換の経済システムがここで整備されたことになる。
紙幣はここから派生しながら、ちょっと違った進化過程を歩んでいる。
あなたが信じているほどの兌換制はそれほど保障されてはいない。
すぐさま紙切れになる危うさを常に持っていることを忘れるべきではない。
ためしに、銀行に行って「金(きん)でも何でもいいけど、お宅の金庫にこの紙幣と交換しえる価値物はちゃんと保管されているかね?」と聞いてみればいい。金庫の中は、幾許かの紙幣の束と、あなたの名前の下に<信用>と記された紙切れが一枚あるだけです。
信用取引は貨幣経済の新しいバージョンです。
信用とは担保とそれからその国の保障制度(これは政治的に[巧妙に]拵えられた!罠)です。
紙幣の<価値>の根拠はどこにあるのか?
実は甚(はなは)だ心もとないのです。
<価値>を保障する物は結局「富」の総量ですが、それを上回る紙幣が増刷されるのはよくあることですし、今もそうなのかもしれません。
通貨の量はその国の政治委員会(・・・誰の代表かは知りません!)によって全く恣意的に決定されうるのです。<信用>のインフレーションという摩訶不思議なお手盛りの術があるんでしょう。
あなたは稼いだ金はあなたの血(血を売った)と汗(道路を作った)と知恵(株なんかを転がしたりヒット作を出したり特許を取ったり)の労働の当然の対価だと思っているいるでしょうが、労働と対価の間には千里の隔たりがある。それを直結的に対応しているものと考えさせたがっているのが現代資本主義(の魔)です。対価という<等価>はまったく幻想なのです。
等価尺度はいったいどこにあるべきか?
以前書いたように、「労働時間」に拠るしかないのではないかと僕は考えている。あまり賛同は得られていないけどね。
あなたの得た信用紙幣は、(旧)兌換制時代のものではありません。
政治的に「保障」された(幻想の)信用制度によってやっと交換ができるといった代物です。
でなければ、通貨をそこらの商品と同一に取り扱う金融市場が成り立つはずがないではないですか。
この項、続く。(←これもウソっぽい。)
ああ、経済学やっとけばよかった! 今からやるぞ!
↓
こりゃ絶対ウソだな。
ニコニコ動画でPinkFloydの"One of TheseDays"を見られなかった方は、次のサイトに飛んでください。ニコニコ動画は話の種に出しただけでアカウント取るほどのもんじゃないから。
http://jp.youtube.com/watch?v=wTrNQCYh70Y
僕の好きだったクラフトワークの直系の兄だった、と思います。
青春時代こそ人生の価値の源泉である。 (?)