小学校に入る前から、関田理髪店にお世話になっていました。
当時は「五厘」でした。
まさか、料金ではありませんよ。丸刈り、です。
バリカンで刈る毛の長さが「五厘」なんでしょう。
散髪は年に2回、と私は決めています。
たぶん、相場の三分の一、でしょう。
じっと座って小一時間、こりゃあ、もったいないわ。
食事と風呂と散髪時間、短ければ短いほどいい。
可処分所得は多ければ多いほどいい、と同様に、「可処分時間」は、長ければ長いほど、いい。
これが、「豊かさ」の指標の一つになる。
富裕層は、たいてい「食事と風呂と散髪時間」は長い、でしょう?
私は、お茶漬けサラサラで、たいていシャワー、か、熱いお湯にザンブと浸かりさっさと出る。可処分時間をひねり出す貧乏人特有の策ではあります。
関田理髪店の主人=いっちゃんは、今日もメジロの世話に忙しい。
奥さんに言わせれば、近づく品評会を控えて、いいさえずりのメジロを捕獲しに山に行った、らしい。
奥さんは僕の髪を切りながらぼやきます。
旦那の道楽にではありません。
いつも来てくれるお客が、間遠になったと言うのです。
そーか、俺だけじゃないんだ。
みんな金がないのです。
そーか、じゃ、俺っちもかみさんに切ってもらうことにしよう、と、ひそかに考えたのは言うまでもありません。うまいことに、近頃顔に生気がなくなっており、長期入院前の風貌になっております。自分でも「死相が出ておるわい」と思えるほどです。
2年ぐらい経ってから、「いやー、入院生活は退屈でした」って言えばいいや。・・・ま、生きておれば、の話ですが。
「だいたい男はヘアスタイルの重要度は低いからねえ」と私。
「なに言ってるの。男のステータスは、先ず目、次にヘア、途中は略して靴、と、こうなるのよ。」奥さんは自説を譲らない。
私は全身で全国ダメ男総代です。
(そんなところまでに気を配ることこそ男の恥)
と土佐のいごっそうは思います。
「なり」や「ふり」には構わないが終始端然、がわたくしのダンディズムである。風呂屋でリンスを使っているヤサ男を見ると、「チェッ。髪など石鹸で十分でい!」 車をみがくひまがあったら、男をみがけよ!と常々私は後輩に言っている。
「いつから、男は<なり>に構わなくなったんだろうねえ。あたしは情けないよ。」うまい突っ込みを入れます。
いごっそうもたじろぎます。
「給食代を払わない親も多いというじゃない?あんなん子供に不道徳を教えるようなもんや。どうせ親のパチンコ代になったんや。」
「いやあ・・・、金がないだけちゃいますか?」
「親がちゃらちゃらやってるに決まってます!」
・・・うっ。
わたしたちがちゃらちゃらやっているせいで、
理容業数は激減しております。
1999年には26.6万でしたが、2004年には12万になりました。
(『日本国勢図会』2002年版と2006年版による)
「なり」のもう一つの柱=衣類にしても、
輸入はそれほど増えていないのに、国内生産は5年間で7割減。
(同上)
「なり」には構わない僕も、この統計には慄然とします。
今までは、「ええかっこしー」の陰に隠れていればよかったが、
彼らが激減したら、身の隠し所がなくなってしまうではないか。
さー、たいへん。
「あたしゃーね」と奥さんは言います。
「髪が異常に早く伸びる薬を開発してもらいたいよ。タケノコから抽出した成分と女性ホルモンを食品に混ぜれば養毛剤になるんやない?
髪の薄い殿方にも福音となるわ。」
(うひゃー、かんべんしてよー。)