今年の冬は粋な帽子でキメようと思って、わが後免の町をうろついてみたが、どの角を曲がっても帽子屋の看板がない。たばこ屋の主に帽子屋の所在を聞いてみても、「戦前はあったけど、近頃は見ないね」と言うだけだった。戦前、ですか?「高知市まで出れば帽子屋はたくさんあるからね。」なるほど、そうには違いない。だけど、帽子屋のない町なんて想像できるだろうか。
 なにがなんでもこの町で帽子屋を見つけるんだ、僕は思った。麦藁帽の爺さんや正ちゃん帽の女の子を僕は見かけている。この帽子がすべて高知市の帽子屋から供給されているなどとは、僕には考えられない。どこかで闇の帽子屋がひそかに営業しているはずなんだ。
 そしてその帽子をかぶった人たちは決して善良な市民なんかじゃなく、駅の時計を遅らせたり、深夜平気で間違い電話をかけてくる奴らなんだ。闇ルートの奴らは僕らのささやかな努力や平安をせせら笑っているに違いないのだ。
 僕は裏小路を経めぐり、どぶ板を踏み越え、物干し竿のおむつの間から帽子屋を探そうと歩いた。小一時間も歩いたろうか---この小さな町で小一時間も歩くなんて尋常でなかった---僕はへとへとになった。
 縁側で足をぶらぶらさせている毛糸の帽子をかぶったおばあさんを見つけた。「こんにちは、おばちゃん。」僕は親愛感をこめて話しかけた。
「おばあちゃん、この町には長いんですか。」
「はい、長いよ。生まれる前からこの町だからね、ケケケ。」
「僕、帽子屋を探しているんですが、どこかにありませんか。」
「おや、帽子を。それはよござんすな。こんなものでも冬はずいぶん暖かだからの。」
「知っておいでですか、帽子屋を。」
「戦前はこの町にも帽子屋はあったはずじゃが、さあ、近頃は見ないね。高知市まで出れば帽子屋はたくさんあるからね。」
「ええ、その話はさっき聞きました。だけど、一軒残らずなくなったという訳じゃないでしょ。」
「お前さんは探偵さんかね。」
「まさか。僕はつい最近この町に引っ越してきたものですから。」
「それはごくろうさんね。」
「あのう、帽子屋を探しているんですが・・・」
「はいはい。」
「この町には本当に帽子屋がないんですか?」
「さあ、あるともないとも。」
「おばあちゃん!からかわないで教えてください。」
「教えたいのは山々なれども、はて、帽子屋さん?ねー・・・」
「・・・おばあちゃん、その帽子いいですね。」
「これはね、爺さんの形見。」
「それはどちらで買われたのでしょう?」
「東町の天井屋で買うてくれた。あては嬉しうてのー。」
「天井屋帽子店?へー、その帽子屋さんはどこです?」
「今は肉屋になっておるよ、ケケケ。」
「それじゃ、もうこの町には帽子屋さんはないんですね?」
「だろうねえ。あたしゃ知らないよ。
お前さん、こうしたらどうじゃろ。」
「はあ?」
「こういう時は警察に聞いてごらんよ。たちどころに分かる。」
「はあ・・・、そうしましょう。それじゃどうも。お元気でね。」
「ありがとよ。ちょっとあんた、これ持って来なさい。せんべ。」
「それはどうも。ありがとう、おばあちゃん。」
「帽子屋さんが早く見つかるといいね。さよならね。」
 僕はシャクゼンとしなかった。
 警察署で聞いても、「ありませんねえ」という素っ気ない返事だけだった。僕もいささか絶望的になる。大袈裟に言えば破滅的な感じになる。この町の人間は帽子屋を追放してしまったのだろうか。
 あり得ることだ。この町は帽子屋に冷たすぎる。
 この町はきっと「この町には帽子屋がない」という仮説なのだ。帽子屋はあるかもしれないし、ないかもしれないが、「ない」という仮説に乗ってこの町は運営されているんだ。この仮説を破るためには、帽子屋の存在を証明するするまでに至らなくても、少なくとも、それはたんに仮説にしかすぎないことを証明せねばならない。あるいは、帽子屋の存在は措定できないが確率的に存在しうることを論証せねばならない。このことから僕の得た結論は、帽子屋は、僕から逃げている、ということだ。帽子屋はさまよっているのだ。求める圧力に気圧されているのかしれない。気の弱い帽子屋は、今も家々の門をさすらっているのだ。
 そうか。だとすれば、僕はその帽子屋が通りがかるのをじっと待てばいいのだ。もう僕が帽子屋を追ってさまようことはない、って訳だ。待っていれば、いつか、その帽子屋は僕の家にもやって来る。僕は少々気に入らなくても、その中の一つのハンティングを買うだろう。それはかなり旧型のもので外にかぶって行くのは気恥ずかしいので、家で埃をかぶったままになってしまうだろう。そのうちに忘れてしまうだろう。
 僕は夕暮れのせまった空の下をバイクを走らせた。ふと空を見上げるとあかね色の空をたくさんの帽子がゴーゴーと飛び交っていた。これは妙だ。僕は慌てて、なじみの簡易郵便局も兼ねている島村タバコ店に飛び込んで、おばさんに、「あれは何です!」と聞いた。
「なにって、あれは帽子じゃろうがね」とおばさんは平然と答えるのだった。
 そうか、あれが幻の帽子屋なのか。あれは売れ残った帽子たちだろう、あんなにさびしげに飛んでいる。あんなに空を飛んでいたらすすけてしまって、誰も買わないかもしれないな。あの帽子屋は商売としてはずいぶん投げやりってもんじゃないだろうか。
 でも、まあ、なるほど、後免の町には帽子屋がないわけだ。