絶滅まぢかの同じWindows95機を愛用されているG君(ゴルゴ・サーティーン氏、ではないとおもう)のメールにもありましたが、近年僕の愛機PC9821にも「スクリプト・エラー」なるものが多発しております。
はてさて、なんのことやら、おいらにゃさっばり分かりません。



 彼によると、12ポイントと10ポイントを混在させた
 ぼくのメールを開いたときに警告されたようです。
 Outlook Expressではフォントを選べるようなので、
 こんな芸もできるんけ?てなもんで、当方に悪意はありません。
 破滅的な事態には陥らなかったでしょ?
 もういたしませんので堪忍してください。



Windows95派がまだ生息していることに、気を強くしましたが、
ぼくのは、もっと重態です。
なんとなく、パスがうまく切れていないような、
または、バッチファイルが壊れているような、気がします。
このあたり、MS-DOSをかじった方なら、
症状の一半をご理解願えるかもしれません。



Windowsの便利なところは、パスを自動的に切ってくれること、
と思っておりました私には、この不調は理解を絶しております。
 古典的なウイルスにはそんな悪さをする奴もいた、らしいが。



昔はよかった。(なんだい?この無意味な詠嘆は。)
コンピュータもOSも、読み解くべき「本」であった。
今は情けないことに、「道具」になり果てておる。
道具になったと同時に、
解読できないブラックボックスになってしまった。
お手上げである。
読めるうちは、権益はわが手にあると認めていい。
読めなくなった時点で、「神」の領分になってしまうのだ。
123年前、ニーチェは「神は死んだ」と言ったのに、
新しい神は続々と生産されているのです。



「支配」の新しい態様(システム)が生まれている、
と言うべきでしょう。



使役しているつもりが、使役されている、というようなね。



労働を提供し、対価を得る、それ以外のシステムが地上にある、
市場経済の中にも、外にも、それはあるのではないか、
ぼくは、そんな気がしております。
いずれ、誰か(利ロな人)が言葉にしてくれるでしょう。



神に供托していた富を、人民の手に奪取していったのが
近代史だと、唯物論者(ぼくもその末席にいます)は考える。
ところが、新しいひれ伏す構造=支配と被支配、新しい「物神」が、
つぎつぎと生産されているのが現代ではないですか?



現代の神を読み解く術(すべ)を探しあぐねて、
右往左往しているのが実態ではないのか。



情報通信のビッグバンで、世界はあまねく光をあたえられる!
ってか? 甘------い!
「科学万能」のこのご時世に、暗黒領域がなお増殖している、
と考えざるをえない根拠はいくらでもある。
ダーク・マター。
それに圧倒されているばかりでは、能がないのですよ。
「蟷螂の斧」でもなんでも、振り回すのがよいのです。



たとえば、こんな風に。



ちょいと前まで「一億総中流化」と言われているかと思ったら、
東京都某区では、児童の40%が給食費さえ払えない、という時代だ。
おかしいではないか!
40%もの家庭が放蕩狂いしているってのか?
そんな馬鹿な話があるもんか。
どこぞに停滞している富があるはずです。
そこに蓄積された富は、
なぜ人間を救うように「解放」できないのか、
時事爺は不思議におもう。
「富」と言ったって、銭金ばかりのことではないぜ。
要するに「富」という意味である。



かつてサルトルは、文学は人間を救えるのか?という問いを発した。
気の弱い文弱の徒は、社会参加(アンガージェ)せにゃいかん、
と、うろたえまくった。
分をわきまえなさい。
文学は、社会参加から一目散に逃走することをもって、
文学の塔を築いてきたのではなかったか。
その望楼から人間を見、照明を当て、
基底部にうごめく人間をを救ってきたのである。
それが文学の社会参加であり、富なのだ。
その富は、解放されている、と言うべきです。



 シンプルすぎる怒りは、
 だれか情報通の奴に足をすくわれることがよくある、
 と、気の弱いぼくはつい考えてしまう。根が貧乏性でね。



ブラックボックスは(しょうがない)当面ほっとけばいい。
が、せめてその外堀は埋めていく努力を惜しんでいると、
人類史上、取り返しがつかなくなるのではあるまいか、と、
酒飲みながら考える風流居士ナカムラであった。



♪知ったことかよ世間のことは 今夜の酒があればいい
とドストエフスキーは言いました。(・・・言ったっけ?)



PS1.中原蒼二、こと元KPのTT氏が、ニフティーの裏切り以降、
連絡が取れない。どこに雲隠れしたんでしょう。
ネット上のホームレスも大きな社会問題です。
「ホームレスもいいではないか」?
なに寝言こいているんだ!コイズミ。



PS2.IBMのThinkPadが壊れてしまいました。
OSの再インストールをせがまれています。
買ってから1年後にハードディスクを交換し(5万円!)、
呆れ果てたるへタレOSのWindowsMeに付き合わされたあげくが、
このザマだ。
こんなへごな(土佐弁で、低劣で使えない・汚いの意)OSでも売っていけるというマイクロソフト商法は、阿漕ですよ。
とともに、そんなOSでも平気で搭載するPCメーカーも
同罪の共犯です。
「バージョンアップ」だ~?
不良品を売ったのと、どこが違うのだ?



ThinkPadもねー、カレントドライブ一つで、少し不安でした。
何かあったらどうしようか、と思わないでもなかった。
パーティションが二つに分かたれておれば、
OSとアプリはドライブ1に、
データはドライブ2にとできておった。
ワシの30GBの珠玉の画像データはどうなる?
補償制度はないのか?



桜散る。
あんたんたる2006年の春は、こうして始まった。



PS3.メールは、旧型Windows95のPC9821を使っておりますので、
しばらくは行けます。テキストだけだったらね。  2006.4.25