NHK教育テレビの児童向けの番組で、
「相手の気持ちを理解しよう」とか、
顔の表情で気持ちを表現しましょう、と言って、
「眉上げて!」とか「目を吊り上げて!」とか、
表情を作るエクササイズをやっとりまして、驚きました。



こんなのは、
子供らの(交友関係の)内部で育っていくものものではないか?
と、皆さんもお思いでしょう。
小泉総理も驚いた近頃の「性教育」のレベルの高さ(?)と同じで、
「わざとらしさ」を感じます。
大人がわざわざ「教育」することではなーい!
大人の残り少ない時間と金を、そんなとこで使うな!



とは言うものの、です。
自分を表現することも、相手の気持ちをおもんばかることにも、
近ごろの子供衆はまったく不慣れである、ことらしい。
って、カマトトぶらなくても、大の大人がそうなのだから、
これは、「しわ寄せ」と言ったほうが正確ではあります。



 ♪しわ寄せだなー、ぼくは君といるときが一番しわ寄せなんだ
 と、子供らは大人に言っているんだ。
 『15少年漂流記』みたいに、なまじ大人がいないほうが
 いい大人になれるってこともあるけど、そりゃ小説だ。



山口県の光高校の爆発物投げ込み事件。
あー、恐い!
とカマトトぶる前にですね、
こういう反撃もあり得るんだ、と考えた方がいいのだよ。
「反撃を禁止されている場合の反撃の一つのあり方」、とね。
そう考えないと勘定が合わない。



一つのことを成し遂げるためには、
別の何かを屈服させることもある。
ぐらいの常識(程度の力学)を大人は持っているはずではないか。
知らんぷりしてんじゃねーよ。



屈服させといて、「無理強いはしませんでした」じゃあ、
この桃太郎侍には、通用しませんだよ。
同級生を裸で水に入らせて
(心臓マヒで)死なせてしまった奴はいねーが。
・・・桃太郎侍と言うよりも「なまはげ」ですな。



押しつぶされそうになったので、ちょっと押し返したら、
犯罪と言われたり、「テロだ!」と言われたり、
戦争だと言われたりする。
そういう要素は、必ずあるのである。
みんな、知らんぷりを決め込んでいるだけだ。
見て見ぬふりは、神さまを含め
誰からも禁止されているわけではないから、
どうぞ、存分になさい、てなもんだ。



(故)島尾敏男の『死の棘』は、とてもおもしろかった。
こんなどろどろの私小説が面白いはずはないのに。
『罪と罰』のラスコールニコフは自己の精神のリアリズムを
忠実になぞってみせたが、島尾のリアリズムはちょっと違う。



現実とは何ですか?
「現実と付き合う、ということです。」



と、彼は言っているのです。



それぞれみんな、日々の現実を所有しているのでしょうが、
その「現実」と付き合っているのか?と『死の棘』は問う。
「話せば分かる」ような付き合いを奨励したってしょうがない。
「話したって分からない」関係がほんとの問題なんであーる。



人間は理解し合えるというロゴス神話は近代を作った。
けれど、波長のずれている地域や文化や人間だって、
そりゃあるでしょう。



・・・長くなるので、お開きとします。



周辺にブログなるものをやり始めたやつがチラホラ。
ホームページとどこが違うんじゃろか?



やっぱり、わしのように押し込み強盗的なメールが好みじゃ。
人の迷惑かえりみず、
寝ている奴のマクラ蹴っ飛ばし、
「おいこら!お前んとこ、カギかけて寝ないのは無用心だ。」



・・・おれは「説教強盗」かい?



なにぶん、アル中の「心神喪失者」でございますから、
お目こぼしを切にお願いします。



どーも、すいません。



ブログとやらに転進する方が、いいでしょうか?



   2005.6.23 高知犯罪者同盟 中村