0710011 アニマルズの「朝日のあたる家」は大好きだ。
浅川マキとちあきなおみのを聞き比べてみた。
歌い上げるちあきと、歌い下げたい浅川。
娼家の祭り(祀り)歌か娼婦の労働歌か、とも聞き取れる。



だけんども、みんないいです。
節操のないおいらにゃー、みんなブリリアントな光が見える。



ピンクフロイド、ボブ・ディランやジョーン・バエズ、
デュラン・デュラン、ミューズ、などなど、YouTubeでは
驚いたことにジョニー・ディップも聞くことが出来る。
聞き比べて好みの順位を付ければよろしかろう。



カバーが多いのは名曲のあかし。
殆どのひとが「刷り込み」エフェクトでアニマルズでしょう。
ぼくもそうです。守礼の曲、です。
 
歌はかならず、だれかのために歌われる。
あなたに聞いて欲しいんやー、の願いがあります。
 House of the RisingSun では「妹」でした。
 世界中が「妹」になって聞いてしまったんだ。
それが、たった一人か、数名か、不特定多数か、はありますし、
「歌いたい」と「聞かせたい」とのスタンスの違いもあります。



自分が発し、自分に帰ってくればそれで完結、というのもあるし、
ただ一人のためだけに発せられた言葉もあろうし、
数名あるいは不特定多数に届けられるべき言葉とか、
あてもなく宇宙の暗黒に送信されたものもあるけれど、
あなたの言葉の到達範囲は、発語したときから既に決まっています。
言葉に乗せたあなたの<覚悟>が、それを決定しているのです。



深さも広がりも浅さも狭さも、どこかで自分で限定しています。
匿名・自由な<無限定性>なぞ、ありゃしません。



ぼくが詩を書いていたとき、
俺の守備範囲は、せいぜいここまでだなー、と
骨身に沁みた経験がありますから、言っておきます。
大でも小でも、通用する範囲は知れたものです。
でも、そこを守り切れたら誰でも名選手。
 何故か知らんが、みーんな踏み外して破綻するんですけどねー。
 ・・・小賢しい連中はね。