久々の更新になりました() さて今回は、小林 和也(仮名)14歳を和也の父親に向き合わせることを長田 百合子が手伝うことに続き、松田 透(仮名)19歳を透の父親、母親に向き合わせる手伝いをする。

 

これ以上、ひきこもりを見過ごすことは出来なかった。

透の父「ゴルァ‼️💢オルァ何やってんだゴルァ‼️×××…ほい!オルァ‼️よぶぇ‼️(空耳(多分座れ))」

 松田 透の登場

両親の留守中、部屋を出て台所に居た19歳の息子。父親は息子の態度を絶って今に押し入れた。

毛布を被り、なぜかゴーグルをかけている。

透の父「座れって言ってるんだゴルァ‼️💢一体何をやってるんだこの野郎‼️外せそれ‼️外せってオルァ‼️」

透「なに?」

透の父「うるせぇ‼️一体何やってんだゴルァ‼️」

和也の父も相当やばいが、透の父も似ているなほんまに

ひきこもりを黙認していたら状況は打開できない。親は息子を甘やかしてきたそれまでに態度を変えなければならなかった。

説教開始

透の母「いつまでも甘えてんじゃないよ!19(歳)!ね?いい大人になってくるんだから。そんなんで30,40になって、どうすんの?」

透の母「何か考えているよね(高校卒業後の進路や進学、就職、自立について)?話しなよ。ね!」

透の父「はよ(早く)答えろよゴルァ❗️」

和也の父と似ているが和也の父とは話す内容が違う。(そりゃ和也より5歳上だもん。19歳は大人手前だし)

親を挑発し、溜め込んできた感情を爆発させる。長田はその時を待ち続けた。

が、しかし、

透の父「もういいぞ!お前出ていけゴルァ‼️💢オルァ‼️出ていけゴルァ‼️💢お前はもうだめ‼️もう縁切る‼️もうお前の居場所はないここ‼️出ろお前‼️

透の母「ないの‼️本当に‼️」

透の父「出ていけゴルァ‼️早く‼️」

和也がシャワーをかけられ、殴られるとこに相当するこの場面、透の場合は「出ていけ(!?)」

いくら息子が19歳だからって、そこまで言うことないやろ()しかも母親まで言っているし。

小林 和也(仮名)14歳の場合は、小学校6年生の3学期から1年半不登校で、これから思春期で困難がたくさん待ち構えているんだよ!と言うこれからの中高の生活に対する助言に対し、松田 透(仮名)19歳の場合は「出ていけ」と言う発言で“大人になりなさい!自分で責任を取れ!そんなんじゃ社会に通用しないぞ!”を遠回し冗談表現していると考えられる。

透の母「出てっちゃえ!もうほら!ねぇ!ほら!どうすんだ!?出てくんでしょ?行かないんでしょ?でも!ねぇ!ちょっと一人で…!」

透の父「はい!だから色々!オルァ!どうなってんだお前?」

透の母「ねぇ!!どうするんだ!!出ていきたくないのか?おい!オルァ!どうするん?出て行くかここから!ねぇ!」

出ていけと言う言葉は、子どもと向き合う姿勢を放棄している。大切なことは、まず、思いの丈をぶつけることなのだ。

透の父「どうすんのか分かれ…オルァ座れゴルァ!じゃあもういっぺん聞くぞ!もういっぺん!」

⑤の続きです。今回は14歳の少年・小林 和也(仮名)、14歳に続き、2家族目は、19歳の青年・松田 透(仮名)、19歳の住む松田さん(仮名)とこです。

全国に160万人とも言われるひきこもり、特に問題となっているのはひきこもりの高年齢化であった。高校や大学などを卒業してからひきこもるペースが増えている。平均年齢26.6歳、その8割が男性。

松田 透の登場です。おそらく1986年4月2日〜6月のどこか生まれ(2005年6月当時から見て19歳の誕生日を迎えていてその3ヶ月前(2005年3月)に高校卒業している時点で恐らくその可能性が高い、ってその時期生まれほぼ確定)です。

ナレーター達が出会った青年は、高校卒業の直後からひきこもり既に3ヶ月。部屋でゲームなどに没頭しているようだった。

両親に思い当たる節はなかった。強いて言えば、やや過保護だったのかもしれないと言う程度。それが今親子の対話も無くなっていた。

 

14歳の少年和也と似たようなひきこもりですが、和也は暴力で父に命令して、1年半もひきこもっていて、母も娘の家を出てって、大変そうな家だなと思いましたが、松田家、これもなかなかです。高校卒業後は進路とか決まらないでやがてどうでもいいやと透はゲームしてひきこもってしまったのかもしれない…

 

両親は長田に助けを求め、何度も話し合いを重ねてきた。

長田「逃げられたことある?私がまとめ役…etc」

ひきこもりを黙認していては先に進めない。その為には親がこれまでの態度を改める必要がある。それが長田の考え方。

聞けばこの3ヶ月、母親は毎日透の部屋に3食毎食も毎日運んでいると言う。そんな生活を続けていては事態が好転するはずもなかった。

今日で全てを変えなければ…!父親の背中に覚悟が滲む。さて、和也みたく長田塾に連れて行くことはできるのだろうか…??

長田「降ろしてください。」

④の続きです。

長田が夫と共に学習塾の経営を始めたのは30年前(当時から見て1975年)。父兄から子供についての相談を持ち込まれることも多かった。

現在(当時)彼女が行っている(いた)講演や寮の運営の原点はそこにある。

妻であり母でもある長田は寮を長男に任せ専ら壊れかけた家族の相談に乗っている。

学習塾を担当する夫、賢さんとは高校時代の同級生。

この日は、地元の青年会議所から声が掛かった。

長田「私は医者でもありませんし、学者でもありませんし、大学教授でもありませんし、学校の先生でもありません。ただのおばさんでございます。(教育評論家)アホで有名でございましたからね笑」

いつの間にか様々な親に頼られる存在になった長田だがその理由は彼女の過去にあるのかもしれない。幼い頃は強迫神経症に苦しみお風呂に入れなかった時期がある。

何よりも決定的だったのは中学時代に受けた激しいいじめだった。

学校に行くと「◯ね」灯油を被って焼身自◯を試みたこともあると言う…

高校に行くといじめられる側から抜け出す為に、自ら不良仲間に加わった。道を踏み外さなかったのは(故)母親、照子さんのお陰だった。それは免許を持たずに車を乗り回していた時期のこと。

長田「自分がその無免許で、車に乗って出ようとしたってところで、何を言うのかとでかい声で「百合子❗️安全運転して帰ってこい‼️この体に傷つけたら母ちゃんが許さんぞ‼️💢😡」と言ったのがびっくりした笑それを聞いて近所の人達が笑っている訳よ。アホやと言う顔して。その近所から笑われた母親を見た時にねかなり私反省したけどね笑、自分が笑われるのは全然構わないんだけど親を笑わせてしまったのはねあれはかなりショックでねこの母ちゃん流したら人間じゃないと思っちゃいましたねあの時ね。あれは相当インパクト強かったんですよあの人の言葉では…」

母親が世を去って18年(当時から見て)。あの時目の前に立ちはだかった照子さんの顔が今も忘れられないと言う。

長田「あっ今年、雨蛙おらん。」

ひきこもりの子ども達に接すると彼らの姿が荒れていた時期の自分に重なって見える。そして放っては置けなくなる。親がしっかりしていれば子供は必ず立ち直ることを長田は身をもって知っていた。

長田「若い時はご迷惑をかけました。笑」

③の続きです。

健二「6時50分までに食べ終わってください。」

けれど指導係の言葉に少年は答えを返さなかった。

運動から遠ざかっていた体は筋肉も衰えている。ちょっとしたトレーニングも少年には大きな負担になる。

健二「123456789101112131415…」

健二「逆」

だが、ここでも少年は素直に指導係に従った。

流石に仲間のように走ることはまだできない。少年は周囲から孤立し押し黙っている。身の回りに目に見えぬ壁を張り巡らせているようだった。

 

②の続きです。

長田「今日で、ひきこもりとさいならや!」

出たーーーーーー!!

長田の名言!

長田「もう逃げんぞ!ひきこもってしまうから!なぁ?話していること…etc」

 

長田「ズボン…etc」

 

”ひきこもりとさいならや“少年の目が長田の言葉に反応した。好き好んで1年半も自分の部屋にひきこもる者などいないはずだ。
彼もまた、部屋を出る糸口を探していたに違いない。長田はひきこもりを受け入れる全寮制の教室を持っている。父親はしばらくの間息子をその寮に預けようと決めていた。少年は従順だった。だが、一度も父親と視線を合わせようとしない。たとえひきこもることをやめても共に暮らしていると親にも子にも甘えが出る。
長田「荷物ください。」
長田は親もまた成長することを望んでいた。
和也の父「よう頑張ってこいよ!」
少年は歯を食いしばり何かに耐えているようだった。別れの言葉を一つも口にすることなく息子は父親の元を去って行った。
少年を外の世界に連れ出すことは出来ても縺れた糸を解きほぐすには時間がかかる。もう一度、我が子に無邪気だった頃の笑顔が戻るのか…?父親には新たな不安と闘う毎日が待っていた。
和也の父「息子にだけ辛い思いをさせるわけにはいかないから、自分もこれから頑張らなきゃいけないと思いますね。」
父親の唯一いいこと言う場面だ!
 
この部屋で一人もがき苦しんでいた少年。ガラス細工のようなその心が温もり帯びてしなやかさを取り戻す瞬間にナレーター達は立ち会うことになった。
ひきこもりなど心に問題を抱えた者が入れる長田の寮では現在30名余りが生活している。彼らはここで学力をつけ衰えていた体力を取り戻す。何より大切なことは規則的な生活だった。早ければ1年で家に帰れる者もいる。あの少年が寮に着いたのは午後9時過ぎ。
長田「はい。ここで待ってようね。全部教えてくれるからな。はい。はい。はい。はい。」
付き添ってきた長田に家で見せた厳しさは消えている。
長田「じゃあ、案内してください。」
健二「はい。」
しかし少年はほとんど言葉を発しようとはしなかった。ここが少年の新しい家。
長田「はい。新人。よろしく〜。はい、じゃあ、全部やってください。」
健二「はい。」
長田塾の生徒①「21歳です。この寮に来てわからないことがあると思いますけど、みんな似たような境遇なのでまぁ気さくにやっていきましょう。はい。よろしくお願いします。」
和也「よろしくお願いします(小声でボソッと)」
長田塾の生徒②「私はここに来て結構経つんで。同い年って聞いているんですけどまぁ仲良くやっていきましょう。よろしくお願いします。」
和也「よろしくお願いします(小声でボソッと)」
生活指導は寮の先輩が受け持つ。いずれも不登校やひきこもりの経験者。同じ境遇にいた者同士ならば閉ざされた心の扉も開きやすくなると言う。
隆宏「これでオークションに出品…etc」
長田の長男、隆宏さんが、寮の責任者を務めていた。
今は長田寮の跡地の「有限会社 Project-t」の代表者さんですね。
このほか学習指導には専門の教員も加わっている。
寮の起床時間は毎朝6時。それまでの乱れた生活は通用しない。
同い年(学年的には和也より1つ上の可能性もあり)の指導係が少年の相談相手となった。
健二「指導係を務めさせてもらいます。よろしくお願いします。」
この寮に来て既に一年になると言う指導係。彼もまたひきこもりの経験者だった。温かいご飯と味噌汁に納豆。簡素ながら父親の留守中に冷蔵庫の食事を食べていた少年にとって久々の朝食らしい朝食だった。不規則な生活を繰り返してきた少年が朝早くからちゃんと食事ができるだろうか。そんな不安をよそに少年はゆっくりと箸を口に運び続ける。
 
 

さて、前のページの続きです。

2005年5月、長田はついにその家を訪ねた。

ついに、連れ出しが始まる。

和也の父「おい!おい!ゴルァ!💢ほら!お前の話だよ!」

和也「何の話?」

和也の父「お前の話だよ!お前の話するってんだろ!ほら!おら!」

和也「ここで十分だよ」

和也の父「十分じゃないよ!ほら!おら!出てこいやゴルァ!顔見せてちゃんと話しろぉ!」

ようやく扉が開く…

少年は思いもかけない事態に、優しげな顔をしていた。

壊れかけた壁、散らかった部屋、散乱するゴミの山、異臭が鼻をつく。

長田「来いよ!来いって!はよ!来いってっもうきりがないから出てこい!いい!はよ出てこいよ!はよ出てこいよ!はよ来いよ!来いって!はぁ〜出て来いって!何でこれ持ってどうすんだお前!」

和也の父「おら!おら!ほら!ほら!ほら!来いって!何!?今更なんだよお前反省してないんだろうお前!ほら来いって!来いよ!何だよ!?何を!?ほら!お前それやってやるよ全部!ほら!ほら!ほら!おら!おら!お前何やってんのこれ!ほら!ほら!ほら!下見て歩け!下向けよ!」

和也「ちょっと、離さないとダメだよ。」

和也の父「下見て歩けよ階段危ないから!」

和也「(押されてることを)だから危ない…」

和也の父「だから危ないから下見て降りろよほら!」

和也「ねぇ 何の話?」

和也の父「何が!?っていいだろ!行けお前ほら!何が!?」

和也「何なの?」

和也の父「何が何なの?」

長田「ねぇ 降りて来いって。」

和也の父「ほら!降りて来い!おら!ほら!」

これまでに見たことのない父親の態度。それに加えてナレーター達のカメラ。少年は困惑しきっている。

長田「まともな事言ってください。まともな事。」

和也の父「うん。」

長田は子供よりもむしろ父親を追い込んでいく。本気にならなければ息子に思いは届かない。やがて堰を切ったように父親が話し始めた。

和也の父「今までお父さん、我慢しとったけどなぁ、今日という今日はもうあれだ❗️💢お前に、思ったことを言うよ❗️💢おい❗️どう思ってんだよ❗️学校行かないで家で暴れて、お父さんに命令して、あぁん⁉️💢物壊して皿壊して家壊して、それで普通かおい❗️❓💢当たり前か⁉️💢どれだけ学校休んでりゃ気が済むんだよお前⁉️💢1年半も休んでんだろお前⁉️💢小学校6年の3学期から❗️分かってんのか⁉️💢うん⁉️お父さんも最近死んじゃうんだろ❓お前、一人で生きていけなくてどうしよもねぇんだろ⁉️こんな生活やったらお前どうしようもないぞ❗️え⁉️💢どうなんだよ⁉️💢おい‼️💢」

長田「ここ座って。もうちょい近づけ。不登校になってどれくらいになったん?なぁ、どのくらいになったんよ?あんたは不登校やって病気じゃないから。まぁ声出しなさいって。はよ!出すが出さぬかは自覚の問題なの!あなたが出さなきゃいけないと思ったら出せるの‼️さっき喋っていらっしゃったから‼️ねぇ、はよ喋ってよ❗️お前はなぁ、なんで不登校になったんや⁉️」

和也「(ボソっと)低血圧です。」

長田「はぁっ⁉️(聞こえなかった)」

和也「低血圧です。」

長田がキレ出す。

長田「低血圧のやつが不登校になったら世の中みんな不登校だらけやないかバカヤロォおめぇ‼️💢なぁ❗️不登校やるんやったら構わんよ❗️学校行かなくて構わんよ別に‼️だったらよ、家の中で努力せぇや‼️💢なぁ‼️何の努力したおめぇ⁉️」

 

和也「呼吸とか」

長田「はぁっ⁉️何⁉️」

和也「呼吸とか」

長田「呼吸…!呼吸を頑張ってた…??」

長田「たぁぁぁあああうわぁぁああああけぇぇええええ〜っ‼️💢」

出だ!!!長田の決まり文句!

和也の父「おい❗️分かってんのかおい❗️おい⁉️お前少し分かってんのかおい❗️💢」

殴り飛ばすシーン

業を煮やした父親は、息子を浴室に無理矢理引きずって行った。抑えてきた苛立ちが、父親の中から溢れ出していく。

和也の父「えぇっん⁉️お水…お水…ほら!反省させたるわ‼️ほら❗️」

和也の父「目覚ませ❗️早く❗️」

和也「痛い。やめてよ…」

和也の父「目覚めたか!」

和也「何が目だよ?」

和也の父「えぇっん!?」

和也「目って何だよ?」

和也の父「お前目覚めたのかって言っているんだよ‼️💢」

和也の父「おら頭冷やせお前❗️」

だがその直後…

ナレーター「外へ外行くの、ちょっと待って!」

隙をついて勝手口から逃げ出した息子を父親が追いかける

けれど、逃げられる場所などありはしない

かつて日本の家庭には、こんな風に息子とぶつかり合う父親がたくさんいた。殴ることもあれば蹴ることもあった。親に殴り返そうとする息子だっていたものだ。時にそれが親子の絆を深めようとすることも誰もが知っていたような気がする。

和也の父「おい⁉️💢何だ一体、お前の何倍痛い思いしたのか分かってんのかお父さんが⁉️お前こんなのいたいちあるか‼️お前どれだけ痛い思いさせたのか分かってんのかおい‼️へぇっ⁉️分かってないんだろぉお前はよぉ‼️」

長田「やっぱ話にならんわもう❗️(呆、怒)」

和也の父「この根性…この根性よおい‼️バカっタレお前‼️この根性直したるわ‼️💢」

和也の父「お前何倍痛いのかゴルァ‼️何が痛いだよ⁉️おい‼️暴れてんじゃないよお前‼️」

和也「痛い」

長田「何調子こいとるねんてゴルァ‼️」

和也の父「嫌なことから逃げるなよ‼️嫌だって逃げてたらお前どんどんどんどん来るんだよお前、嫌なことが!!お前逃げてばっかいるんだよ!!だからうちいんだよ‼️」

正直、そう言うこと言いながら親父が息子に痛い目に遭わせてんだろ?

 

 

父親の感情を吐き出すと、息子から反抗的な態度が消えかける。長田はこの瞬間を待っていた。

長田「お前はただの生憎や!ただの甘ったれや!幼稚なだけや❗️💢なぁ⁉️今のまんまじゃなぁ、学校帰っても勉強遅れとる❗️なぁ⁉️体力もついてこん!だろ!?人間関係もどっか行ってもた忘れてもうた‼️遅れとることがいくらでもある‼️訓練しなきゃ戻ってこない‼️分かったか?」

 

どうも、チョリーッス✌️🌺💅

うP主です!

 

さて、今、皆さんは引きこもりなどはどうやって支援すべきかと思いますか?

「優しく相談員を支援する」

「親も相手に寄り添う」

 

そう思われる方が多いですよね。(当たり前)

 

 

 

 

ただし。昔はそうではなかったのです。

 

この教育評論家が引きこもりを体罰などで解決するのが話題でしたね。

2000年代は。

https://ja.wikipedia.org/wiki/長田百合子

 

そう。それがわかるのがこの番組。2005/8/1 日テレで放送された

https://www.youtube.com/watch?v=EnaW4Mt-mGU

まだうP主は生まれていませんでしたが、当時引きこもりの子を暴力や体罰で2時間で解決するという長田百合子、今から見ても信じられませんよね…

ただ、当時はそれで解決せざる得なかったのでしょう。

これは、当時14歳の小林 和也君(仮名)が小学校6年生の3学期(2003年度後半)から2005年度前半まで1年半もひきこもっていた部屋です。異臭が鼻をつきます。

 

他には…

 

息子が妻に暴力を振るって父本人もボコボコにされた

娘に話しかけても無視される。ひどい時は耳を塞ぐ拒絶

「息子は壁やドアを壊して、父親本人はそれに耐えきれなく一時自◯を考えた。」

などなど…………

ひきこもりは、当時「社会との断絶」とされてる社会問題の全盛期だったそうだ。

そこで、今回登場するのが生贄の長田 百合子さん(当時51歳)である。

2017年に長田塾は閉鎖し、逮捕されたらしい噂も聞いたが、このブログを書いた2025年9月現在はどうなってるのかはうP主本人も知らない。

「ひきこもりは病気じゃないの!」

と、長田氏は言います。

早速長田は、その和也の家を訪ねて、

今まで腫れ物に触るように接してきた父親が、心を鬼にして叱り、文字通り、親子の戦いとなったのであった…

 

和也の父「何やってんじゃぁこの野郎❗️💢ゴルァ❗️」

長田百合子「はよ出てこいよちょっと❗️オルァ❗️」

父親が部屋から息子を長田と共に引き摺り出す。

和也の父「お前こんなの痛いことあるか!💢」

文字通り、父の覚悟が滲む。(長田氏も)

和也の父「目覚ませ早く!」

和也「痛い!やめてよ」

と、殴る蹴るだけでなくシャワーを(しかも冷水)かけさせて反省させる。いくら引きこもりを救え言ったってこれは正直流石にやりすぎだろ!

だがその直後…

   和也は外へ逃げた。

文字通り、「現実逃避」

ひきこもりあるあるですね

 

 

 

今度は当時19歳の青年、松田 透君(仮名)。高校卒業の直後(2005年3月下旬)からひきこもり既に3ヶ月。部屋でゲームなどに没頭しているという。その青年は、HSPなのか何故かゴーグルを外さなかった。親子の対話は全くない。

これもなかなかなもんですね。

「母、愛情、息子、父、妥協、甘え」

親子の絆は、何故捻れてしまったのだろうか…?

長田が今度は透の父母を追い詰めていく。

和也の指導係、健二(仮名)が助言してくれているワンシーン

当時ひきこもりは、「親たちの課題」として長田は「子供を変えるんじゃねえよ!てめえを変えるんだろ!親が変わらないうちは子供なんて変わんないんだよ!子供の問題なんてほとんど母ちゃんの問題❗️それなのに子供だけを変えててめえを変えないのが図々しいじゃねえかおめえら」と、長田氏は今の社会では想像できぬレベルの一見ぶっきらぼうなことを平気で言う。

 

 

 

 

 

いよいよ、本編開始!

ナレーターは槇 大輔氏。「ザ・世界仰天ニュース」などで有名な方だ。

この番組の取材は、番組放送の5ヶ月前の2005年3月から既に始まっていたのだ。

まずは14歳の少年、和也のことについて50歳の小林さん(仮名) からナレーターと相談を受けた。職業は経営コンサルタント。母親と娘(和也の妹)は家を飛び出し、一人父親が途方に暮れていた。(当時から見て)14年前(1991年頃?(和也が生まれたのと同じタイミング?))に建てられた2階建ての家は、恵まれた暮らしぶりを窺われせる。

だが、かつて家族の笑い声が飛び交ったはずのリビングには、その名残はない。

ここには、息子がふるった暴力の傷跡が。

和也の父「ここ、ナイフか何かわからないんですけど、ここを切るとかね…etc」

この頃、息子がひきこもっている部屋からは、物音何一つも聞こえなかった。

「なぜ?」と聞かれても、父親に答えが見当たらない。和也の出産直後、母親が育児ノイローゼになった時期がある。教育熱心な母親と、仕事に追われる父親の間には、会話らしい会話もなかったと言う。

やがて、息子は暴力を振るうようになり、小学校6年の冬頃からひきこもってしまった…

そして、父親は関連する本を読み漁った。

もちろん、長田百合子のあの本もある。

https://www.amazon.co.jp/親がかわれば、子どもも変わるーイジメ・不登校・ひきこもりの現場から-長田-百合子/dp/4062109093

ただ、父親は息子の部屋の扉を開けることはできなかったのだ。

和也の父「あの、何か心が荒れていると言うか…まぁ、訴えているんですよね。親に対して…。ね。まぁその息子の訴えの気持ちが、親がなんか、掴んでないから、対応がね、出来ないとね。思うんですよ。要するにその、息子に対して、どう対処すればいいのか、親としてのね、正解が出せないから、こう言うふうに、気持ちが、増幅する訳ですよ。」

母親は息子の暴力に耐えきれなく、呆れて、2005年3月当時の1年前(2004年3月頃?)に娘を連れて家を出たらしい。息子の食事は毎日父親が作り、毎日冷蔵庫に入れておくのだと言う。

和也の父「この暴れた跡ですよね。息子がね、皿をぶつけてね、皿を割るんですよ。傷ですね。

(冷蔵庫のドアを指して)これも全部そうですけどね。これ、全部こうね、やっているでしょ?だから帰ってきた時にね、「今日皿割れてるかな〜?壁壊れてるかな〜?」と考えなくちゃいけないのが辛かったんですよ。そんなこと思いながら帰ってくる、毎日が。」

帰宅して食事がなくなっていれば、それが、息子が生きている証。

そんな日々が続いていた。

気がつけば、父親自身が自分から2階に上がることすらもなくなっていた。どうすることも、出来ずにいた…

それにしてもこの家、丸いユニークな扉が多いね😮

この写真は和也が生まれた時のアルバム(だと思われる(絶対そうでしょ))

(おそらく1991年頃?ならではの画質だ。右に貼ってある文書は、うP主の勝手な想像だが、息子が生まれた時の報告書や願い、望みを綴っていると思われる。)

それが父親にとっては、ひきこもってしまい、何も言えなかったと思う。

 

壊れかけてしまった家族をもう一度一つにしなければ…!父親の中で、その思いだけが、空回りする。ひきこもりの原因を見極めるのは難しい。目に見えぬ軋みが和也にとって幾重にも折り重なって、いつしか心の扉が閉じてしまう。息子もまた、何かと闘っていた。

ひきこもりの救済に取り組んでいる女性がいる。父親がその存在を知ったのは3月の終わり。彼女が主催している親の会に足を運ぶと、そこには、同じ悩みを抱える親たちが集っていた。

長田百合子は親の在り方を批判していた。

子供変えるんじゃないの!てめえ(親)を変えるんだろまず!親が変わんないうちは子供なんて変わんないんだよ!なのに親が全然親が意識感覚で直そうとして子供だけ直そうとするのが図々しいじゃねえかおめえ。なんでかっていやぁ、子供の問題なんてのはほとんど母ちゃんの問題!

長田は各地を回り、親たちの相談に乗る。

家に乗り込んで、子供と親を向き合わせることも少なくない。

レポーター達がカメラを向けた父親は歯に衣着せぬ長田の顔を見ていた

「この人なら、現状を打開することができるのではないか。」父親は、長田に宛てて手紙を書いた。自分は息子を甘やかし妥協してしまったのではないかと反省していること。本音で付き合える親子になりたいと祈っていること。」子供を変えようとするなら、まず自分が変われ

長田の一言は、父親の心に棘のように突き刺さっていた。

長田「お前が今の状態は受け入れることはできない!はっきり言わないとダメですよ!嫌われてもいいんですよ!だって子供がひきこもったままだったらにっちもさっちもいかないんですから。放っておけばおくほどダメになるんですから。なぁ分かっているじゃないですか理屈で。止めるためにはね、子供の問題を止めるためにはね、はっきりとした答えを出してやらないと子供はわからないの!」

 

という感じです。

それでは、また続きの次編で。