もう一度戦うと決めた僕はジムに伝えた



それからまたいつも通り毎日練習の日々
そしてあっと言う間に12月になり34歳の誕生日を迎えた



この誕生日が今までで一番嬉しかった


ずっと仲良くしてる兄貴みたいな人がサプライズで店に澤さんやINAC神戸の皆さん、
中ちゃんや知り合い、家族を集めてくれて
全く知らなかった僕は本当にびっくりして嬉しかった



サプライズって嬉しいな


そんな誕生日を過ごし正月を迎えはや3月になった



いよいよ本当の意味での再起戦が決まった

WBCの世界ランカーだ




この試合を決めるまでに日本の世界ランカーにも声をかけたが今のおれとやってもおいしくないと思ったのか断られた



ある選手は雑誌でおれのことを今やっても弱い者いじめとめちゃくちゃ言ってた選手もいた




余談だかこういう選手に限って世界チャンピオンに返り咲いたらすぐにやって下さいと連絡がくるものだ




まぁ以前の自分の評価なら試合の話しがあれば喜んでやってたろうが、キコマルチネスに負けたおれに価値を感じないということだろう


じゃもう一度試合をやりたくなるような選手になってやると思った









相手のオラシオ・ガルシアというメキシコ選手は当時23勝無敗18KOぐらいしているハードパンチャーだ


前の試合でもガードしてる相手の腕を殴り折ってしまうほどのパンチ



その映像を見た娘がパパ試合やめてって言ってたのを思い出す




その試合に備え僕は後輩の与那覇を連れて沖縄に合宿に行った






主に朝は古宇利島を2周、午後からは砂浜を走りダッシュ系というようなトレーニングだ



今までの合宿と変わらずハードにこなす



ただ今までと違うのはマスコミが誰も来ないこと


もちろん事前に伝えてなかったのもあるが、
マスコミさえも僕に対してはある程度見切りをつけたんじゃないかと思っていた




しかし毎回試合終わりに素敵VTRを作ってくれる「せやねん」の田中さんだけは、
どんな時もどんな場所でも来て取材をしてくれた



いつの頃か田中さんが来てくれると田中さんにいい姿を見せてカッコいいVTRを作ってほしいとより頑張って走った




マスコミが来なくてもテレビが来なくても、
以前より誰も注目が少なくなってもおれは関係ない



心と体を一つにしてもう一度世界の舞台に立ち、自分が強いという証明と自分だけが歩める自分だけのボクシング人生をつくると決めた僕に迷いはなかった




しかしボクシングの神様はこの試合に二つの試練を与える