仙台から帰ってきた僕の心は決まっていた
気仙沼でもう一度チャンピオンになるという約束と、
あの環境でも前を向いて歩く方々を見て下を向いてばかりではいけない、まだ戦うんだと
トレーニングにも身が入った
しかしこの後現実の厳しさを知ることになるとはこの時の思っていなかった
12月ぐらいに試合をしようという話しになった
どうせするなら世界ランカーがそれと同等の無敗のボクサーを希望した
どうせ辛い練習をするならより強くなれる相手がいいと言うのが自分の考えだ
そして2011.12月、フェザーのタイトルを失ってから8ヶ月後
18勝0敗の無敗のメキシコ人と試合が決まった
ウェイトはフェザー級
やることは変わらない。最高の状態を作ることだけ
トレーニングも順調にきてたが試合10日前のスパーでアクシデントは起きた
後輩とスパーした後に脇腹らへんが痛い
トレーニング中の痛みはアドレナリンが出てるせいでそんなに痛みを感じないものだがそれでも痛い
終わって車を運転するのもハンドルを持つだけで痛かった
これはおかしい
次の日病院行った
六軟骨の骨折が二箇所あった
六軟骨は普通のレントゲンでは映らなくて、
僕は大阪のある病院の立体的に映るMRIみたいな機会で診察してもらった
これは二週間そこらでは治らない
練習が全くできなくてもいい。試合までに治っているなら試合するつもりだった
しかしこんな状況では試合までに治るはずもない
僕だけではなかなか聞き入ってもらえないこともあり、親父の助けも手伝って試合をキャンセルすることが決まった
僕がまだ若くチャンピオンを目指している段階の状態なら別に試合して負けてもいい
しかし一試合一試合が勝負の歳と状況で僕にはこのリスクを犯すことはできなかった
写真は関係ないがこの頃娘と撮ったもの