ハナレばなれば -11ページ目

ハナレばなれば

まわる毎日。変わる毎日。時に閉じたり開いたり。

コンセプト=様々なキョリのカクトク!!

本が好きだ。

僕を広げてくれるから。

静かな水面に落ちる通り雨のように色んな形の波紋が僕を刺激してくれる。


その波紋はどこまでも連鎖していき、本を閉じると静かに止む。


本はいつでも僕と向き合ってくれる。

僕が何も語らずとも本は何かを語ってくれる。

僕が何も求めなくても本は何かを与えてくれる。

自分が静かにその語りに酔うのが心地よい。


でも僕は何かを語らなくちゃいけない。

心の中で何かに気付いたとしても、語らなければいつかシャボン玉のようにパチンと割れてしまう。それで終わり。

でも語ることはとても勇気のいることだ。

語ることで自分の存在が具現化してしまう。自分が自分のイメージとして見えてしまう。僕の語ることは僕を決定づけるき唯一の方法なのだ。


それは怖い。

だから気をつけて語らなくちゃ。

全ての表現に気をつかわなきゃ。

今僕が語ることは何かの結論ではない。

僕が僕という存在を僕の中に、果てに社会の中に位置付けていくための目印を僕は立てているのである。
卒業設計も終わったということで、自分の大学の講評会まで、他大学の卒業設計を見て歩くことにした。


今日は藝大の卒業設計を都立美術館に見てきた。


図面や模型の表現の仕方はとても凝っていて、どの作品も見ていて楽しい。


自分が卒業するときは参考にしたいって思うことばかりだ。


藝大といえば他大学にはない芸術的な造形が魅力なのだけれども社会的な側面から造形を説明する作品が多かったようにも思えた。気のせいかもしれないけれど。


いろんなところで卒業設計において私性への傾倒が危惧されている。


ネットが社会を席捲していくネット社会において今までよりもなおさら現実の構造物に対する風当たりが強くなっていく。


その中で、社会批判性や社会的要素からのアプローチを忘れてはならないと言われているのは、建築が強度を持っていくために必要なことだと思う。


とか考えてみても、今はとにかく表現やアプローチの仕方を学ぶことに全力を注いでいくことが大事だな。


これから卒業設計展がどんどん開催されるけど、その作品を批評できるくらい自分の世界観を構築していきたいと思うばかりです。
ようやく卒業設計のお手伝いが終わり、春休みに突入です。


まじ長かったし、きつかった卒業設計のお手伝い。


ラスト一週間はホントお祭りみたいでした。


あのエネルギーを生み出すものはきっと何にも代えられぬ情熱なんでしょう。青春なんでしょう。


とにかく二徹明けで死にそうです。


下馬評的には結構お手伝いした先輩の作品はよさそうなので講評会が楽しみ!!


春休みは近所の事務所のオープンデスクに行くことにしました。


建築が多く接する日々が続くけれど、意匠系に進級するためにも毎日頑張りたいです。


もっといろんなものに接したい!!