第3回 太宰府をぐるりとサイクリング
今回は、令和発祥の都として売り出し中の太宰府をぐるりとサイクリングしてきましたので、その様子をお伝えします。太宰府には学生の頃からちょくちょく訪れており、懐かしさもあって自転車で巡ってみました。
なお、太宰府は観光地としてもよく知られたところであり、ガイドや観光案内地図がネットでも充実していますので、詳しくはそちらを見ていただければと思います。
例えば、太宰府観光協会1)。
今回訪れた場所です。
➀駐車場(出発とゴール地点)②太宰府天満宮 ③お石茶屋とお石トンネル
④竈門神社 ⑤光明禅寺 ⑥えとや
⑦榎社 ⑧大宰府政庁跡 ⑨坂本八幡宮
⑩水城跡 ⑪観世音寺
今回の走行距離は約16kmと軽いサイクリングでした。
➀駐車場
訪れたのは平日(5月17日)だったにも関らず、駐車場には観光バスがいっぱい止まっていました。東および東南アジア系の言葉を話す人と修学旅行と思われる学生服を着た人たちが大勢いました。
②太宰府天満宮
まずは天神様にご挨拶です。自転車引っ張って参道を行くのは迷惑になるので、横から入りました。
本殿は令和5年5月から改修工事に入っていて、現在は本殿の前に仮殿が建てられています。何とかいう有名な建築家の設計によるものだそうで、屋根に木が生えた斬新なデザインとなっています。工事期間は3年とのことですので、仮殿を見ることができるのは今だけです。
受験の神様として多くの参拝者が訪れますが、太宰府天満宮のご利益については、昔通っていた予備校の先生の面白い説があります。
菅原道真は学問の天才だったかもしれませんが、中央の政争に敗れて大宰府に左遷されてから、亡くなるまでの2年間に、中央への恨み・辛み・不満に明け暮れていたとか。さらに、亡くなってからは、都に雷は落とすは(当時は道真の祟りと言われていました)、天皇家の人を呪い殺すは(これも当時は道真の祟りと言われていました)で、道真の怨念を鎮めるために京都の北野天満宮を建てたという説もあります。予備校の先生曰く「そんな奴を祭っている神社に参ってもご利益なんかない!」とのことでした。信じるか信じないかはあなた次第です。
③お石茶屋とお石トンネル
参拝のあとは奥の梅園に行きました。現在は新緑の季節ですが、梅花の時期はとてもきれいです。名物「梅が枝餅」を提供してくれるお茶屋が並んでいますが、一番奥にあるのが「お石茶屋」です。
150年以上の歴史があるお茶屋だそうで、東京まで名が知られた「おイシさん」という美人が店主だったお店です。彼女目当てに皇族、詩人、歌人、政治家などが通ったそうです。ここまで来る人は少なく、本殿の喧騒とは離れて静かな時が流れていました。
そして、お石さんのファンの一人、麻生太吉という人が、お石さんがこのトンネルの先の自宅から丘を遠回りして通っていたのを見かねて、造ってあげたというのが、この通称「お石トンネル」です。あの自民党副総裁の麻生太郎氏の曽祖父にあたる人で、石炭で儲けた炭鉱王の一人です。金持ちは推し活も豪勢なものです。炭鉱王といえば、麻生の他に、貝島太助、安川敬一郎が筑豊御三家として有名です。他には伊藤伝右衛門(NHK朝ドラに登場した炭鉱王のモデル)という人もいます。
このお石トンネルを抜けて竈門神社に向かいます。
なお、参拝からトンネルを抜けるまでは自転車を押して移動でした。
④竈門神社
お石トンネルを抜けて2km程山に向かって坂道を上ったところにあります。この坂がきつかった。変速ギアが付いているものの、その日の体力の半分位を使ったようでした。
新緑に覆われた石段を上ると御神殿があります。
御祭神は玉依姫命で縁結びの神様として信仰されています。近年は人気アニメ「鬼滅の刃」の主人公の苗字と同じことから、アニメファンから聖地として人気があるようです。
⑤光明禅寺
実は、今回太宰府を訪問した一番の目的がここの庭園を見ることでした。しかしながら、拝観停止となっていました。3年前に訪れた時も見ることができませんでした。何があったのか・・・
学生時代は、よくここの庭を見に訪れていました。新緑の時はもちろん、紅葉の時期の庭はとても素晴らしいものでした。またこれも学生時代のことですが、2月のある日の朝、目が覚めたら雪が降っていました。ちょうど日曜日だったので、思い立ってこの光明寺の庭を見に来た事がありました。雪の庭園も素晴らしいもので、寒さも忘れて見入っていたものです。拝観の再開を切に望みます。
⑥えとや
光明禅寺から少し西に進んだところに「えとや」があります。
ここの「梅の実ひじき」が旨い。御飯がいくらでも進みます。福岡空港や博多駅でも売られていると思います。デパートで九州展とかやっていたら、出店していると思います。三重県在住の時、名鉄百貨店で九州展をやっていたことがあり、会社帰りにこの「梅の実ひじき」を買って帰ったことがありました。
⑦榎社
菅原道真が中央での政争に敗れて、太宰府に左遷されてから亡くなるまでの2年間住んでいた館の跡に建てられたお社です。大きな榎の樹があることから「榎社」と呼ばれるようになりました。
この地で亡くなった菅原道真の遺骸を安楽寺に葬るために牛車に乗せて葬送していたところ、寺の門前で牛が動かなくなったため、その地に埋葬し廟を建立しました。後に、そこに社殿を建てて現在の太宰府天満宮になったということです。
⑧大宰府政庁跡
7世紀後半に、九州筑前国に設置された地方行政機関の跡です。
別名、都府楼跡とも言います。近くに太宰府展示館があり詳しく説明されています。
ちなみに、現在の地名は「太宰府」と書きますが、歴史的用語としては「大宰府」と書くそうです。今回は前を通っただけでした。
⑨坂本八幡宮
御祭神は応神天皇で戦国時代の勧進と伝えられています。
一方、「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(かぜやわ)らぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫ず」という万葉集に収められている「梅花の宴」の序文を引用して、現在の元号「令和」が定められました。この「梅花の宴」を開いた大宰帥として赴任した大伴旅人の邸宅についてはいくつかの候補がありますが、その一つがこの坂本八幡宮一帯といわれています。
令和元年5月1日直後から観光客が大挙して押しかけて大変な混雑だったとか。元々社務所もないような地元の氏神様ですので、対応のために横にプレハブ小屋を建てて、お守りを売ったり御朱印を授与したりしていたようです。2年前に訪れたときは、まだ横のプレハブ小屋に人が常駐していましたが、今は小屋も閉まり郵送対応の御朱印の申込書が置かれているだけでした。訪れる人も殆どなく、一人だけ妙齢の女性がスーツケース引っ張って来ていただけでした。ブームは去ったようです。
⑩水城跡
663年、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた倭朝廷が唐の侵攻を心配して、664年築いたのがこの「水城」です。「みずき」と読みます。高さ約9m、幅約80m、長さ約1.2kmの土塁を築き、幅約60m、深さ約4mの外堀に水をたたえていたことから「水城」と呼ばれたとか。水城館ではビデオを見せてくれます。
⑪観世音寺
観世音寺はかつて、九州の寺院をまとめる府大寺(ふたいじ)として栄えた由緒ある古刹です。
境内にある梵鐘は国宝で、7世紀末頃に造られたとみられる日本最古級の鐘です。なお、鐘楼には吊るされておらず、仏像等と宝蔵に保管されています。国宝ですからねえ。
境内にある茶室、天智院です。
学生時代に、この天智院で開かれたお茶会に招かれたことがありました。40年以上も前のことです。この茶室も久しぶりに見てみたかったのですが、現在では写真のように大分傷んでおり、非公開となっているようです。何年か前には特別にお茶会が開かれたこともあったとか。ここも中を見たかった・・・
太宰府をぐるりとサイクリングしてきましたが、自転車で巡る観光スポットの紹介みたいになってしまいました。それぞれのスポットについてはより詳しい説明をネットで見ることができますので、そちらを参照して頂ければと思います。
終わり
参考資料
1) 社)太宰府観光協会
URL https://dazaifu.org