第2回 中津街道をゆく

 

 今回お送りするのは、小倉から中津までを結ぶ中津街道のサイクリングの様子です。

 江戸時代、日本橋を起点に五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)が整備されたということは、歴史の教科書にも載っているくらい知られています。各地方においても街道と脇街道が整備されており、前に私が住んでいたいなべ市には、桑名から藤原町を結ぶ員弁街道(農州街道)がありましたし、愛知県では名古屋市から豊田を経て飯田に至る飯田街道というのがあったと思います。あっ、知多半島の佃煮街道というのは別物です。

 ここ九州では、日本橋ならぬ小倉の常盤橋を起点に、門司往還、中津街道、秋月街道、長崎街道、唐津街道、の五街道が整備されていました。そのうち、小倉から、椎田を経て中津までの中津街道1)をサイクリング(約42km)してきましたので、報告します。

 中津街道は国道10号線沿いにありバイパスや新興住宅地として整備されていて、当時を偲ばせる一里塚跡等は現存していません。そこで頼りにしたのは、GPSCycling2)というサイトで、旧街道・駅伝などの情報をGoogleマップ等で表示するものです。

 

 さて、GW中の5月4日、天気も良かったことから愛チャリのFlyway(フライウェイ)をこぎ出してサイクリングに出かけました。今回は車には積まずに、JR中津駅まで行ってから、自転車をたたんで電車で帰ってくる片道サイクリングとしました。

 

◎中曽根→苅田

 中津街道の起点である常盤橋からのサイクリングも考えたのですが、自転車を運ばなければならないし、常盤橋は小倉の繁華街の中にあるので、町中を走ることになります。安全も考えて、小倉南区中曽根辺りからのスタートとしました。

 青で示したルートがGoogleマップ上のルートです。地図上の番号と写真記事が対応しています。

まずは出発地点から、途中の苅田まで。

 

➀出発地点

 さあ、中津街道サイクリングの出発です。普通の裏道という感じで、旧街道の雰囲気はありません。

 

 

②朽網駅周辺

 朽網駅が見えてきました。近くにはTOTOの工場もあり、新興住宅地となっています。

 

 ちなみに、「くさみ」と読みます。難読地名ですね。日本書紀に景行天皇が土蜘蛛(朝廷に服従しなかった辺境の民のこと)の討伐の際に、葛の網をしき、それが朽ちたという話がのっており、今の地名になったと地元では言われています。

 

③石灰岩運搬ベルトコンベア

 石灰岩の採石場から海岸沿いのセメント工場まで、石灰岩を運ぶベルトコンベアです。JR九州日豊本線や国道10号線を跨ぐように伸びています。

 

昔はここをゴンドラで石灰岩を運んでいました。私が小学生頃の記憶では、確かこんな感じのゴンドラが頭の上を通っていました。

 

少し南に行ったところにももう一つあります。

 

◎  苅田→行橋

 街道ルートでは大橋宿とありますが、昔の宿場の呼び名です。大橋村と行事村というのが合併して一字ずつとって行橋町となり、現在の地名となっています。

 

 道は街道らしい面影はありません。

 

新緑がとてもきれいでした。

 

 

④万年橋

 万年橋を渡ると旧大橋宿に入ります。この日はいたる所でお祭りの幟を見かけました。

 

 

⑤中津街道の道標

 商店街の中にある高さ50cm程の六角形の道標です。「南中津道、西小倉道、東今元道」とかかれています。

  

 

⑥中津街道の紹介

 正八幡神社の鳥居の下に中津街道の紹介の看板がありました。ちゃんと街道をたどれているようです。

 

 

 

⑦福岡県立京都高等学校

 私の出身高校です。

 

 ちなみに「京都」と書いて「みやこ」と読みます。京都はこのあたりの地名の呼び名です。

 景行天皇が朝廷に謀反した熊襲(くまそ)征伐の折、この地にしばらくの間行宮を構えたところから京都(みやこ)の名が残ったとあります。平安時代の「和名抄」に「美夜古」と表記されているらしいです。個人的にはこの「美夜古」の表記の方が好きです。

 

◎行橋→椎田ルート

 行橋から椎田までのルートです。途中航空自衛隊築城基地の横を通ります。

 

⑧高瀬のお休み場

 

 このあたりはちょっとした丘を越える峠で、「お休み場」と呼ばれ、江戸時代の旅日記には三、四軒の茶屋があったと記されています。参勤交代のためここを通った中津藩主もここでお休みしたのでしょう。

  

 

⑨松原展望台広場

 ちょっとした公園になっていて、何が展望できるかというと、航空自衛隊築城基地が見渡せるのです。

 

 滑走路のすぐ脇なので、戦闘機の発着を見ることができます。この日はGW中なのか、それともお昼時だったせいなのか、発着は無くまったく静かでした。

 

⑩椎田郡屋跡

 

 椎田宿の郡奉行の施設跡で、今は椎田町の歴史民俗資料館になっています。

 

 

◎椎田→中津ルート

 椎田から中津へのルートです。もうひと頑張りです。

 

椎田-中津ルート1

  

椎田-中津ルート2

 

⑪福間付近

 普通の裏道なので、街道という実感がありませんが、途中で道標を見つけると街道をたどれていると安心します。

  

 

⑫漁港

 海の近くを通っているので途中で漁港が見えました。当日は南東の風がやや強くて少し白波が立っていました。

 

 このあたりの海は遠浅の海岸でアサリ等の貝が良く取れます。途中潮干狩りの看板も見つけました。中津街道は豊前海でとれた魚介類の運送ルートにもなっていたようです。

 

⑬宇島のお祭り

 途中でお祭りに出くわしました。ここで出会ったのは宇島祇園というお祭りの山車でした。

 

 

⑭山国川

 ようやく山国川に到着しました。この山国橋を渡れば大分県中津市です。

 

 橋を渡ってこの交差点を左へ行けばさらに中津街道を通って中津城へ着きます。

 

 遠くには中津城が見えました。

 

 私はまっすぐ進んでJR中津駅へと向かいました。

 

⑮JR中津駅

 本日の終点、JR中津駅に到着しました。福沢諭吉像の背中が見えます。

 

 自転車はたたんで専用バッグに詰めて、電車に乗せて帰りました。

 

 

 本日は、中津街道を走ってみました。所々往時を偲ばせる道標や看板があるものの、東海道や中仙道の様に宿場跡が整備されている訳ではないので、普通に裏道を走っている感じが抜けきれなかったというのが、正直な気持ちでした。それでも、ここを参勤交代も通ったのだなあ、などと少しばかり妄想しながら自転車を走らせました。

 

終わり

 

参考資料

1)築上町歴史散歩>史跡散歩ガイド>中津街道椎田宿

   URL https://www.chikujo-rekishi.jp/guide/nakatsukaido/

 

2) GPSCycling>旧街道>中津街道

 URL https://gcy.jp/kkd/nakatsu.html