家に帰りたくなかった。
母親と出来るだけ口をきかないようにしよう。
ここ数日無視を貫いてきた。
「なんで無視するの?」
問いただされた。
返す言葉に困り、紡ぎ出したのが、
「うるさい。」
だった。
父親は出張で家を空けることが多かった。
幼少期は、家の雰囲気は母親の気分と同義であった。
同義。言葉の使い方は間違えている。ただ、それほどに
家庭の温かい空気を私は知らない。
「お母さん大好き。」
「困ったらすぐ親に相談する。」
「何でも話せる関係。」
どれも私にとって理解不能なものであった。
大きな夫婦喧嘩をしてから、父親とろくに話ができなくなってしまった。
日中過ごすのは母親と。
決して母親を味方したいわけじゃないのに、そうせざるをえなかった。
そんな現状を破壊したかった。
父親と話ができない、そのため母親とも会話しない。
そうすることで、親への態度の均衡を保とうとしていた。
しかし一方で、自分だけを見てくれる大人を欲していた。
それは、父親を求めているのに過ぎないのに、
恋心とならざるを得なかった。
「自分を必要としてくれる人が、必要だった。」
雨音は強くなるばかりであった。
「将来の夢?」
「はい。」
「なんだったろーなー。君は何になりたいの?」
「映画監督です。」
「お!それは素晴らしいね。」
「自分で見たものを、他人にも見せたいんです。頭の中にあるものを
見える形にしたい。」
「やりたいこと決まってるんなら、それに向けて今できることやるのみだね。
まーいっつも努力してるけれどね。」
答えを求めてる会話ではない。
ただ、彼の声が私を安心させる。
今夜一晩、家で過ごすための鎮痛剤にしたかった。
なんて一方的なんだろう。
居場所が欲しかった。彼がいる場所にいたい。
そのため、訳もなく夢について語ってしまった。
「小説家かな。」
「え?」
彼は塾講師の傍ら、小説を書いている。
ネット上で公開しているらしい。
「予習とか残業とかあるのに、大変じゃないですか?」
今考えたら失礼な聞き方だ。塾講師でなかろうと、残業、そして仕事の
しの字も体験してない小娘だったのだから。
「うーーーん、そのままつっぷして寝ることもあるかな笑」
その笑顔が少年みたいだった。年上の男性にもかかわらず、
面倒見てあげたい、だなんて生意気な感情を抱いてしまう。
小説家。
何をテーマにしているのだろう。
彼をもっと知りたい、そう思うのであった。
もう22時を過ぎようとしてる。
朝まで9時間。何とか耐え抜ける。
そう覚悟を決めて、教室を出た。
地獄が待っているはず。でも仕方がない。
家を出るためには、無いものがあまりに多すぎる。
雨にずぶぬれながら、塾を後にした。
6月になろうとしている。
気温は徐々に上がり、黒のスーツが暑苦しく見えるこの季節。
明日も勝負しなければならない。
今日は散々だった。引き継ぎに時間がかかり、授業では二次不等式の解の範囲について、
生徒さんにうまく説明できなかった。
久しぶりに一人、バーでバドワイザーを飲む。
その帰り、ぼつぽつと雨が降り出した。
マルボロのキャンペーンでもらった大きめのTシャツを一枚着て、
眠ろうか迷う。
きっと彼も、昔はそう感じた日があったのでは無かろうか。
ただ社会に興味があった。入試と関係無いのに、細かい質問をたくさんした。
そんな私を適当にあしらうことなく、彼は真摯に楽しく解説してくれた。
その日は気温が上がり始めた日の夕方。
図書館での自習を終え、教室に向かった。
「こんにちは!」
気合いが入った声で、彼はいつも出迎えてくれる。
首からかけたネームプレートが、いかにも塾講師という感じがして
憧れたものだ。
今日はレモンイエローのシャツを着ている。きっと勝負の色なのだろう。
「はい!ではマスコミと、マスメディアの違いを記述してみましょう。
XX年の○○県の入試問題で出されました。」
深くつっこむところが好きだ。中学生程度の勉強とはいえ、一点でも多く、少しでも
上へ。教科書の細部にしか書いてないようなことでも掘り下げる。
そして間違いやすい点を明るみに出す。彼はプロの仕事人であった。
結果マスコミはマスコミュニケーションの略。不特定多数の人々と新聞やテレビなどの間で
行われる情報伝達。マスメディアは、その伝達を担う媒体。
その当時まだSNSは台頭していなかった。
おもしろいことに、9年後に自分がメディア論を専攻するなど、
おもってもみなかった。
「起立!礼!」
「ありがとうございました!!」
毛嫌いしていた塾独特の空気感。
今考えたら、教育サービスを徹底的に提供しようとする思いから
成り立っているのだろう。
後輩の瑠璃が言った。
「先生!彼女いるんですか?」
「へ!」
彼は驚いたような顔をするが
「いるよ!」
恥ずかしがる素振りもなく、あっけらかんと答えた。
私は必死に笑顔を保持する。
それからお得意の日本地図を描き出し、彼女がどこに住んでいるかを説明しだした。
いや、プレゼンしていたと言った方が正しい。
それから恒例のクイズ大会になった。その”彼女”の住んでいる土地の名産物と国内シェアの
順位、そして近くにある山脈の名前が出された。
雑談さえ復習につなげてしまう合わせ技。
現在自分が授業をする際には、似たようなことをやってしまう。
「はい、ではみんなお迎えが来たから帰りましょう!
気をつけてな!」
後輩たちは次々と靴を履き替え、保護者の車に向かっていく。
「さようならーー!!」
「はい、さようなら!!」
もちろん、私は一人で帰る。
「あの、先生。」
「はいな!」
小雨が大雨に変わった。
気温は徐々に上がり、黒のスーツが暑苦しく見えるこの季節。
明日も勝負しなければならない。
今日は散々だった。引き継ぎに時間がかかり、授業では二次不等式の解の範囲について、
生徒さんにうまく説明できなかった。
久しぶりに一人、バーでバドワイザーを飲む。
その帰り、ぼつぽつと雨が降り出した。
マルボロのキャンペーンでもらった大きめのTシャツを一枚着て、
眠ろうか迷う。
きっと彼も、昔はそう感じた日があったのでは無かろうか。
ただ社会に興味があった。入試と関係無いのに、細かい質問をたくさんした。
そんな私を適当にあしらうことなく、彼は真摯に楽しく解説してくれた。
その日は気温が上がり始めた日の夕方。
図書館での自習を終え、教室に向かった。
「こんにちは!」
気合いが入った声で、彼はいつも出迎えてくれる。
首からかけたネームプレートが、いかにも塾講師という感じがして
憧れたものだ。
今日はレモンイエローのシャツを着ている。きっと勝負の色なのだろう。
「はい!ではマスコミと、マスメディアの違いを記述してみましょう。
XX年の○○県の入試問題で出されました。」
深くつっこむところが好きだ。中学生程度の勉強とはいえ、一点でも多く、少しでも
上へ。教科書の細部にしか書いてないようなことでも掘り下げる。
そして間違いやすい点を明るみに出す。彼はプロの仕事人であった。
結果マスコミはマスコミュニケーションの略。不特定多数の人々と新聞やテレビなどの間で
行われる情報伝達。マスメディアは、その伝達を担う媒体。
その当時まだSNSは台頭していなかった。
おもしろいことに、9年後に自分がメディア論を専攻するなど、
おもってもみなかった。
「起立!礼!」
「ありがとうございました!!」
毛嫌いしていた塾独特の空気感。
今考えたら、教育サービスを徹底的に提供しようとする思いから
成り立っているのだろう。
後輩の瑠璃が言った。
「先生!彼女いるんですか?」
「へ!」
彼は驚いたような顔をするが
「いるよ!」
恥ずかしがる素振りもなく、あっけらかんと答えた。
私は必死に笑顔を保持する。
それからお得意の日本地図を描き出し、彼女がどこに住んでいるかを説明しだした。
いや、プレゼンしていたと言った方が正しい。
それから恒例のクイズ大会になった。その”彼女”の住んでいる土地の名産物と国内シェアの
順位、そして近くにある山脈の名前が出された。
雑談さえ復習につなげてしまう合わせ技。
現在自分が授業をする際には、似たようなことをやってしまう。
「はい、ではみんなお迎えが来たから帰りましょう!
気をつけてな!」
後輩たちは次々と靴を履き替え、保護者の車に向かっていく。
「さようならーー!!」
「はい、さようなら!!」
もちろん、私は一人で帰る。
「あの、先生。」
「はいな!」
小雨が大雨に変わった。
「先生って何歳?」
上目遣いで生徒が聞いてくる。
16歳といえば一番小悪魔な時期であろう。
ぱっと見、美少女系では無いが色気を醸し出す子に成長するだろうと考えていた。
だからこそ、教室の女の子すべて私が守らなきゃいけない。
彼女はアメリカからの帰国子女。と言ってももう6年も日本に住んでいる。
日本語の言い回しや漢字に難があるため塾に通い出した。
今日は化学と物理を私が。普段は国語と算数を小坂先生が担当している。
長身と眼鏡、スーツの魔法のせいで彼に憧れを持つ女子生徒は少なくない。
ただ実態は、酒の席での会話もままならない大学一年生の子供である。
大人な女子生徒の流し目に本気で心奪われないか、こちらが心配になってくる。
「ひーみーつ。」
大学受験生には、熱血授業、暴走特急な口調、炭坑よりも深く掘り下げる授業。
そう定評がある私であったが、いつになく甘い口調で答えてみた。
「なんでー?ヒントちょうだーーい。」
彼女は全くノートに書くという勉強をしてこなかったらしい。
小坂先生の授業でもこんな感じなのだろうか。
「テスト終わったらね。」
「なんでーー?いじわるーー。」
体をくねくねさせて頬をふくらます。
テスト範囲はやりきった。あとは復習してくれることを望む。
そんな私も、今は彼と同じ年になった。
そして彼と同じ仕事をしている。
あの時なろうと思った大人になれているのか?
彼のようにしっかり働けているのだろうか。
上目遣いで生徒が聞いてくる。
16歳といえば一番小悪魔な時期であろう。
ぱっと見、美少女系では無いが色気を醸し出す子に成長するだろうと考えていた。
だからこそ、教室の女の子すべて私が守らなきゃいけない。
彼女はアメリカからの帰国子女。と言ってももう6年も日本に住んでいる。
日本語の言い回しや漢字に難があるため塾に通い出した。
今日は化学と物理を私が。普段は国語と算数を小坂先生が担当している。
長身と眼鏡、スーツの魔法のせいで彼に憧れを持つ女子生徒は少なくない。
ただ実態は、酒の席での会話もままならない大学一年生の子供である。
大人な女子生徒の流し目に本気で心奪われないか、こちらが心配になってくる。
「ひーみーつ。」
大学受験生には、熱血授業、暴走特急な口調、炭坑よりも深く掘り下げる授業。
そう定評がある私であったが、いつになく甘い口調で答えてみた。
「なんでー?ヒントちょうだーーい。」
彼女は全くノートに書くという勉強をしてこなかったらしい。
小坂先生の授業でもこんな感じなのだろうか。
「テスト終わったらね。」
「なんでーー?いじわるーー。」
体をくねくねさせて頬をふくらます。
テスト範囲はやりきった。あとは復習してくれることを望む。
そんな私も、今は彼と同じ年になった。
そして彼と同じ仕事をしている。
あの時なろうと思った大人になれているのか?
彼のようにしっかり働けているのだろうか。