「なぁ、ちょっといいか。」
「あ、はい。」
伊藤先生があいつを面談室に引き連れる。
これで何度目だろうか。
ただ今回は今までのそれより深刻だ。
後に聞いた話だが、
「家から遠く離れた大学に行きたい。」
「母親なんか大嫌い。」
そう漏らしたらしい。
パーティション越しに、あいつのすすり泣く声が聞こえた。
19のあいつ。
19の私の心の底からの声と、一字一句変わりなく重なり、
脳内で共鳴する。
まだまだ内に滾々とパワーを溜め込んでいる時期。
それが必ずしもいい方向に発散されるとは限らない。
葛藤、自嘲、行き場の無い怒り、同世代の大学生と比較した時に感じる不甲斐なさ。
全身全霊で、悲しすぎるほど研ぎすまされた感性でもって、心は荒らされていく。
何のために生まれてきたのか。
陳腐な響き。
現実的に言い換えると、こんな命に存在価値はあるのか?
私は無しであると答えを出した。
それは悲しいことなのかもしれない。
個性はおろか、自分らしさなんて、社会は求めていない。
その仕事をするのに自分である必要ない。
時にその未成熟な結論は、自分は誰にも必要とされてない、そんな無価値観と背中合わせになっている。
「最低限の時給に見合う働きを。」
罵倒され、そのたびに”自分”というささくれを削ぎ落しては、会社が求める形にはまろうとしてきた。
皮肉なことに、自分を消す事に一生懸命になる中で、自分の味というものがにじみ出てくる。
働いて3年ほど経った頃であろうか。
親に介入され、仕事も家も失ったことがある。
オートロック付きで実家より高層階かつ立派なマンションに入ってきた。
本来ならば不法侵入である。
警察にとって、家族とは無法地帯である。
一番の理解者から最も遠い血がつながった人間なら、私が築き上げてきたものを破壊する権利があるのだろうか。
すべて無にされ、命も無に戻してしまいたいほどの不条理。
その頃から、時間、命とは浪費するものになっていた。私は荒れ、ただ低賃金で働くことで爆発してしまいそうな感情を麻痺させてた。
それに引き換え手に入れたのは、接客技術と売上げと、信頼である。
ただ”正社員”という肩書きは手に入らなかった。
店舗を回すのに毎日13時間は働いていた。
給料が発生するのは7.5時間まで。
今に比べりゃましだろう。
「先生、今何年?」
”4”を指でサインした。
「ふーん、そうなんだ。」
嘘はついていない。
4年間フリーターをやった後に大学へ行こうと気が変わった人間だ。
23歳の時だった。
たった一行”大卒”の肩書きがあるだけで、喉から手が出るほど欲しかった”正社員””社会保険””厚生年金”という安定性が手に入るなら、受験勉強などに苦があるだろうか。
私には何も無い。
だから高校でやってきた勉強と費やした時間に利用価値が内在しているかはわからなかったが、とりあえずやってみた。
夢など無かった。
それはもうとっくに捨てたもの。
「別に、やりたいことなんか無いし・・。」
ごく一般のストレートで大学に入った学生講師なら、
自らも模索中であるにもかかわらず、何とか興味のあることを聞き出し、
なんとかやりたいことを朧げでも見つけさせようと、骨を折るだろう。
そのひたむきさには感謝すべきなのかもしれない。
ただ浪人という、まして夢や目標という概念が抜け落ちた浪人にとっては、
「俺の気持ちは誰にもわからない。」「やっぱりあなたと私は違う。」
心の中でそんな叫びが誘発され、できるのは目標という超えるべき壁では無く、
ただでさえ霞んでいる人間関係に対する壁である。
これを、言語化するべきか半年間迷っていた。
19の私にだって、有り余っているけど淀んでしまったパワーがあったからこそ家を出た。
「30までに何も無かったら、死んじゃおうと思った。」
雨の中、流れ去る事の無かった言葉。
二人の間に音を持たなくとも横たわっていたかのように。
奨学金を借りたときに初めて、30以降も生きる理由を見つけた。
その30まで、あと3年になった。
面談室からあいつが出てきた瞬間、バックルームに入った。
見てはいないけど
あいつの涙は、昔の私の思いであり、痛みでもある。