“携帯”を携帯しない | お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

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私の母親が突然「がん」と診断された。「がん」と闘い、一生懸命に生きた母と後悔ばかりの子の闘病生活を綴る。そして、2018年ついに私自身にも「がん」との診断が…。

“携帯”と言っても携帯電話である。前にもこのブログに書いたが、私の持っている携帯はスマホではなく所謂ガラケーなのです。しかも、プリペイド携帯。

 

その携帯電話は概ね携帯しないことが多い。何か連絡を受ける予定があらかじめわかっている場合は出先に持っていくが、基本的には家に置いたまま。

 

そんな使い方をしているので、いつの間にか充電残量が0になっていることが度々ある。それでも特に困ることはない。

 

うちの兄弟は私とは全く逆で、スマホは肩身離さず持っている。時間があればスマホをいじっているので、充電も忘れることはまずないのだろう。

 

会社携帯も持っているのだが、こちらも長期休暇などの時には自前携帯のように充電するのを忘れてしまう。平日はリモート会議などで使っているのでそんなことはないのだが。

 

まぁ、自分としては携帯電話に縛られない生活が出来ているので、ある意味幸せなのかもしれない。

 

古いデバイスと言えば、「ポケベル」。急に何の話かと言うと、つい最近 YouTube で懐かしい『ポケベルが鳴らくて』という曲を聞いた。良い曲だよね~。

 

 

通信機器の変遷って早いよね。移り変わりを説明した総務省のページが以下にあった。

 

 

私が自分用の携帯電話(プリペイド型)を購入したのが、2013 年の年末くらいだった。お袋が入院して会社を1カ月程「看護休暇」で休んだ。携帯は病院からの連絡用の目的で購入したのだった。お袋が他界したのがその年のクリスマスイヴ、最初の着信がまさか病院からの危篤連絡とは思いもしなかった。

 

Ameba でブログを書き始めたのが、お袋が亡くなるまでの記録を綴るためだったのだが、よく考えたらもう 10 年以上も前のことなのだな…。

 

 

光陰矢の如しとはよく言ったもので、あっという間に月日が流れていた。「皆が平等に失うもの…時間です」という話はあるが、物理的な時間は同じでも、個人で感じる時の流れの進みは違うのだと思うのだ。

 

あら? いつの間にか携帯の話からかけ離れてしまった…。まぁ、そういうことで。