入院振り返り ― 手術翌日(2/2) | お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

私の母親が突然「がん」と診断された。「がん」と闘い、一生懸命に生きた母と後悔ばかりの子の闘病生活を綴る。そして、2018年ついに私自身にも「がん」との診断が…。

看護師さんが、私の右手をゴソゴソ動かしているので目が覚めた。時計に目をやると既に朝のようだが、GICU(集中治療室)の中は時間さえ分からないほど薄暗い。左手の奥の方から別の患者さんの声が聞こえる。男性の中年くらいの患者さんだと思う。私の右手はと言うと、看護師さんがちょうど手首の辺りを押さえたり、向きを変えたりしながらモニターとモニターから発せられる音を聞いていた。動かす度に、手首…ちょうど脈をとる辺りがちょっとだけ痛い。

「このままモニター用の管を入れておいても意味がないので、確認してから外しますね」

と看護師さんは言った。そういえば、脈拍等のモニター用の管を手首から「動脈」に入れてるんだっけ…。気胸の手術の時には、確か左腕だったか、がっちり棒で固定されていて動かせなかった。肘を曲げさせないためということだから、「動脈」へはそこから入れていたのだろう。

 

しばらくして看護師さんが戻ってきて動脈に付けられている物体を引き抜いてくれた。どんな太い管かと思ったら、細い繊維のような白色の針が引き抜かれた。

「ちょっと強く押さえておいてください」

と言われて、右手首に固定されたガーゼを左手で強く押さえる。看護師さんはガーゼの上からテープをきつめに留める。

「うがいしてみましょうか?」

と聞かれた。私は口の中が何だか不味い(苦い)ので、コクンとうなずいた。すると一度咳を外した看護師さんが「吸い飲み」を持ってきてくれた。気胸で入院した時は手術前に購入させられたような気がする。ここでは無料で提供されるのか…と思った。水を口に吸いこんで、口の中をグジュグジュして用意してくれた容器にプッと吐き出した。口の中が潤うと何となく体の渇きが癒された感じだ。

 

相変わらずお腹の手術創が痛む。尿管も入れられているので変な感じだ。酸素マスクも外してもらって、何となくすっきりしてきた。右のお腹の穴からはドレイン用(体の中の液を抽出する)のチューブが出ていて、血液なのか、内分泌液なのか抽出されており液をためる袋が真っ赤だった。尿も出ているらしいが、何となく膀胱が変な感じ。背中が痛いと思ったら背中まで伸びだ硬膜外麻酔へのチューブが背中とベッドの間にあって、それがそう感じさせていた。硬膜外麻酔は、手元にスイッチがあって、痛くなったらそれを押すと痛み止めのため麻酔が多く注入される仕組みのようだ。ちなみにこのスイッチ、結局退院まで一度も自分では押さなかった。麻酔も慣れると効かなくなるからということと、耐えられないほどの痛みではないと思っていたら、結局最後まで使わずじまいになったことだ。

 

さて、入院計画が記載されたクリニカルパスというものがあるのだが、この中に「手術翌日から歩行」というものがある。いや、これアリアないだろうと思ったのだが、本当に歩くことになった。ベッドのリクライニングをほぼ垂直に置き上げ、体をずらしながらベッドに座る。ここまででも結構体力が居る。そのあと、点滴スタンドにドレインバッグと排尿バッグを付け、看護師さんに補助されながら少し歩く。お腹に力をいれるととにかく痛い。なぜか私の場合は、左側の腹部の創が痛む。まぁ、胸のど真ん中に1か所カメラ用の穴、お腹に左右2か所ずつの腹腔鏡(正確にはダ・ヴィンチの手術用アーム)の穴、おへその穴(切り取った胃を外に出すため)という、計6か所の穴が開いており、そのうち1か所はドレインのためにチューブが入ったまま。だから動くと痛いのは当たり前ではある。痛いときには麻酔のスイッチを押していいと言われていたが、此れしきで痛いと騒ぐのなら、開腹手術はもっとつらかろうと押すのを止まった。

 

GICUで一夜過ごして、翌日には一般病棟へ戻る。戻る際には車いすで戻るそうで、ベッドを起こしたまま車いすを待った。どうもこの座った姿勢のせいで腰が痛くなってきた。もともと坐骨神経痛で足を延ばして座る態勢は辛い。足を折り曲げで正座しつつ横になってベッドによりかかる態勢に自分で姿勢を変えた。痛みを押さえながら姿勢を変えるのは本当に至難の業だ。

 

なかなか病棟からのお迎えが来ず、半正座姿勢で待っているのも足がしびれて辛くなってきた。まだか、まだかと待っていると病院看護師が迎えに来てくれたようで、車いすの音がした。GICU付き看護師さんから変な姿勢でいるので、

「どうしたの?」

と聞かれたため、

「坐骨神経痛が痛むんでこんな姿勢で…」

と答えた。病棟看護師とGICU付き看護師さんでやりとりが終わり、病棟へ戻る準備ができた。床頭台を1人の看護師さんが持って、もう1人の看護師さんが私の座った車いすを押す。点滴スタンドは私が持って移動する。痛みのせいか手術疲れのせいか、腕にうまく力が入らず移動中に何度も点滴スタンドを持つでが滑りそうになる。エレベーターで8Fへ昇った。今度の病室はどこだろうと思っていたら、案内された場所入院時と同じ場所だった。窓側の景色のいい場所だ、外が見える場所は気分も晴れる。入院時に窓側にしてもらって本当にありがたかった。

 

午後になってウトウトしていると、

「やぁ、起きている」

と弟の声がした。

「おぉ、起きているよ。手術の時はありがとう」

と答えた。丁度休日なので弟が見舞いに来てくれた。

「どう? 調子は」

「うーん、手術の創が痛い」

正直にそう答えた。

「そういえば、胃を 1/2 取ったって聞いた?」

「いや…、そうなのか。まぁ、折角センチネルリンパ生検したけど、部分切除にはならなかったか…」

「先生が言うには、事前の説明であった通り、リンパの流れが両方あって半分取らざるを得なかったそうだよ」

「まぁ、事前に聞いていたし、個人差もあるということだったから仕方ないと思うしかない」

「そうだね。それより、3時間くらいって話だったけど全然終わらなくてびっくりしたよ。確かお袋の時もそうだったんで、何かあったのかと心配になっちゃってね…」

「あ、そう…、ふーん」

「とりあえず、手術が無事終わって切り取った胃を見せてもらったんだけど、膜みたいな薄い肉で真ん中くらいに突起物があってこれが癌だっていう説明があった。たぶん1cmもない大きさだったと思うよ」

「まぁ、俺のは未分化型とかいうタイプだし、実際表面に出ているのは豆粒より小さくても、がん細胞はどこまで広がっているかわからないからね…」

「まぁ、そうだね。ただ、叔父さんの時は内視鏡で胃がんを取ったはずだけど、確か便に黒い血が混じるなんていうくらい出血していたよね。けど今回は本当に『できもの』みたいなちっこい奴だったから不思議なんだ」

「専門の先生がバッチリやってくれたんだから大丈夫だろう」

「そうだね」

そんな術後の話をした。あとは、町内役員の班長をしているので、引継ぎ会の出欠回覧の結果なんかを話した。弟が手持無沙汰になる頃、こちらから切り出した。

「家からの距離もあるし、そろそろ帰ったら?」

「うん、そうするよ」

「サンキュウな。次は退院だけど、多分計画上は8日で退院になると思うよ、順調ならだけど」

「そうだね、先生も一週間くらいで退院できると思いますって言っていた。メールとかまた連絡して」

「おぅ、じゃぁ、気をつけてな」

「うん、じゃぁまた…」

弟はそういうと病室を後にした。病室の窓から見える外の風景は、どんよりと曇っていたのと、すぐに夕方になるので、何となく薄暗く感じた。

 

検温と血圧、それに手術瘡の確認、点滴、尿の量、ドレインでの抽出物の量や様子を定期的に看護師さんが確認に来る。弟が帰ってからはすることもなく、時間がとても長く感じられた。傷が痛むのでTVも見る気にならない。他所の病室は夕飯の配膳も終わり静かになった。就寝時間になるまで、とても長い長い時間だったと感じた。

 

今夜は眠れそうもない。回ってきた看護師さんに眠剤をお願いした。あと、何となく熱っぽいのでアイスノン(氷枕)もお願いすると、快く引き受けてくれた。火照った頭(体)にアイスノンは気持ちいい。眠剤もあるので、何とか眠れるだろう。

 

電気が消えた後、少しして眠りに落ちたが、お腹が痛くて目が覚める。お腹と言っても手術創が痛い。また、仰向けになりっぱなしだと、腰と背中も痛くなった。何度も起きて時計を確認するが、手術当日夜のように時計の針は一向に進まない。起きては寝て、起きては寝てを4~5回繰り返した。