咳が止まらない。咳のせいで夜も眠れず寝不足気味だ。市販の風邪薬を飲んでみたのだが、あまり変わらないような気がする。とにもかくにも、一日中安静にしている毎日が続き、いつの間にやら、連休ももうすぐ終わってしまう。
今日、土曜日は、9:30に予約していた床屋へ行く予定だったので、8:30に目覚ましの音で目を覚ました。咳のせいで喉が痛くて、ちょっと布団の上でボーっとしているといきなり電話が鳴った。ケアマネの代理の方からの連絡だった。叔父は今日(土曜日)は透析の日なのだが、玄関チャイムを押しても、呼んでも全然反応がないとのことだった。急いで出かける支度をしていると今度は透析を行っている病院の看護師からの連絡で、内容は全く同じものだった。とりあえず様子を見に行きますだけ答えて、スクーターに乗り叔父の家へ向かった。
今日もいい天気なのだけど、咳がゴホゴホと止まらない…こいつさえなければいい日よりも楽しめそうな、そんな土曜の午前だった。実は私はあまり心配していない。前日(金曜日)に叔父から「こたつの上で湯豆腐とかおかゆとか作りたいので、カセットコンロを買ってきてほしい」という相談を受けていた。このため、前日に元気が姿を見ていたのだ。まぁ、元気と言っても、腰の痛みはどうしようもないくらい痛いとのことだったが…。なので、たぶん今日はまた腰が痛くて移動できないだろうとは思っていた。
叔父の家に着くと、送り迎えのミニバンの運転手さんとヘルパーが玄関の前で立ち往生していた。私は「すみません」と頭を下げ、玄関の扉を開けた。
「今日、透析じゃないの?」
私が少し大きな声で言った。咳のせいで喉をやってしまっているせいか、変にしゃがれた声になった。叔父は自分のいつも居る布団の上でそのまま仰向けに寝ていた。私の声に少し体を起こそうとする。
「透析どうすんの?」
「行きたい気持ちはあるよ、でも痛くてとてもいけない」
「腰かい?」
「動けないんだよ」
「………」
玄関へ戻り、叔父の代わりにヘルパーと運転手さんに伝えた。
「今日は腰が痛くて動けないのでどうしようもないので行かないと言っています」
「分かりました」「分かりました」
二人はそう答えると、車へ戻って行った。気が付くと、家の中から話し声がした。TVの音声に紛れて叔父が何か言っている。
「俺だって行きたいと思っているけど、動かないもんしょうがないじゃん」
「みんな帰ってもらったよ」
「あぁ、そう」
「………」
叔父はまた黙って横になった。叔父の寝床の傍のTVから、朝の番組のリポーターがずっとデカい声でしゃべり続けていた。
「俺も帰るよ」
「あぁ、ゆっくり休んで」
いや、いや、ゆっくり休んではないだろう。痛いのはわかる、わかるけど、行けないならいけないと答えてあげるべきでは? 多分電話も鳴ったろうに…。
私が叔父の印象として強く残っているのは、叔父が40~50代の頃のちょっと小太りだけど、きりっとした叔父の姿だ。今はその姿が想像さえできなかった。月日の移り変わりは物も人も風景も変えるというが、布団で蹲る叔父の姿を見て、甥っ子も、もっと言えば親戚も殆どいない私と弟の行く末に、叔父の姿を重ねる時、叔父と同じ年齢になった自分たちはどのように生きていくのか、寒々とした未来像しか浮かんでこないことが空恐ろしくなった。
時計を見るとそろそろ床屋の予約時間だった。私は叔父の家の玄関を閉め、またスクーターにまたがって床屋へ向かうのだった。