43. これから | お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

私の母親が突然「がん」と診断された。「がん」と闘い、一生懸命に生きた母と後悔ばかりの子の闘病生活を綴る。そして、2018年ついに私自身にも「がん」との診断が…。

洗濯を午前中にすませ、今日も午後から病院へ行く。

いつもの病室…とは言っても、ナースセンター横の重症患者用の病室だ。入口近くにいる母のベッドの場所は暗い。外が見えないせいか、母が時間の感覚がなくなってしまったように思う。時計を見ずに今は何時かと聞くことが多くなった。

しかも最近は、カーテンのところに蟲が這いずっているのが見えると言うのだ。もちろんそんなものは私には見えない。弟にも見えない。看護師や先生にも見えない。母だけに「それ」は見える。私は、家に帰って、ネットで長期入院における心身の疲労についてのページを検索し読み漁った。認知症ではないが、長期の入院の負担で変なものが見えたり、まるで痴呆になったかのような言動をすることがあるそうだ。

翌日、先生が回診にやってきた時に、蟲のこと、心身的な負担のことを聞いてみた。先生は、今使っている痛み止めが麻薬同様の効果を示すこともあり、そのような言動の要因になることもあると言っていた。かといって、薬の量を減らすと今度は痛がるため、今は現状維持だが、少し量を減らしてみましょうとのことだった。

先生が退席した後、母と久しぶりに話した。調子が悪くなるばかりで、入院していても全然良くならないという愚痴だった。あとは、蟲が見える、そういう話。少し話すと、また調子が悪いからと横になった。私はパイプ椅子を持ってきて、母のベッドの傍に座る。

急に母が起きた。
「○○、ちょっとトイレ行きたいから手を貸して」
「いや、そこにポータブルトイレがあるじゃん」
「………」
母は、ゆっくりベッド脇に立つとポータブルトイレで用を足した。
「なんか、おしっこが赤いんだよ」
そういう話を聞いてちょっと寒気がした。そう、そうなのだ、この病気の始まりは、赤いおしっこだった。尿に血が混じっていたから赤かったのだ。母は当時、ずっと薬のせいで赤くなるのだと思っていた。でも、違ったのだ。

ベッドに戻った母を無言で見つめていた。母が言う通り、本当に全然よくならない。病状は悪化する一方だ。いや、そんなことは半年前からわかっていたことだ。母は癌で手術し、残念ながら癌が再発してしまった。

私も弟も、もうあきらめていた。なんであきらめてしまったのだろう…。仕事が忙しくて、母もこんな状態で、疲れ切ってしまったからなのだろうか。3時間しか毎日寝ないので頭が回っていないからなのか。病状を憂いているからか。結果として、母の気持ちを汲んでやれなかった。だから、「こう」なってしまったのではないか…。

何か頭の上から、重いものがのしかかっているような感覚に襲われた。私は椅子に深く腰をかけなおした。

看護師が入って来て、母の世話をしてくれる。母も前はベッドの上で少しは動けていたのに、最近は自分でもトイレ以外は動かなくなってしまった。そんな状況を見ていると、酷い焦燥感が全身を包む。

母の世話をしていた看護師さんから「先生と看護師長が今後について話をしたいといっているので、予定を教えてください」と言われた。母も体調が少しづつ回復しやっと起き上がれるようになった。こんな状況で、もうそういう話をしなければならないのかと、ちょっとイラついた。
「いいですよ、いつでも。今は母の看病で会社休んでいますので」
「そうですか、では、先生が登板の木曜日の午後でいかがでしょうか?」
「はい、わかりました」
私は事務的に返答を返した。ベッドの上では、母がしきりにお腹をさすっていた。

家に帰って、会社から疲れて帰って来ている弟と話した。私もそうだったが、やっぱり家に帰ってくると、母の様子が気になるので「今日はどうだった?」と聞く。弟も同じ、私に母の様子を尋ねた。
「いつもと同じ。でも、なんか最近様子が変。変なものが見えると言っているし、機嫌もすこぶる悪い。体調が悪いからだと思うけど…」
「…困ったね」
「困ったと言えば、先生から“また”長期入院はできないからと、退院とか転院の話が出た。今度話したいと言うので、また行ってくるよ」
「頼むよ。まぁ、病院だって色々事情もあるだろうけど、調子が悪くなっているのに酷いよね」
「…そうだね」
弟も私も無言になった。何をしてあげればいいのだろう、母に少しでも喜んでもらうためには、どうすればいいのだろう…。僕らの想いはただそれだけだ。

数日を経ずに、家の電話が鳴った。看護師長からだった。母が暴れたそうだ。看護師の腕を強くつかんで、病室を出ようとしたそうだ。私はわかりましたと言いすぐに病院へ向かった。

病室の母はごく普通だった。
「何今日暴れたって聞いたけど」
「違うよ」
「だってそう聞いたぜ」
「………。治らないかなぁ…」
会話がかみ合わない。かと言って母を怒らせるのも本意ではないので、パイプ椅子をヘッドサイドに置いて、腰かけた。
「どう?」
「あの先生全然だめ。痛いって言っているのに」
「そう。唇どうしたの?」
「すぐに乾いちゃう」
「ひどい状態だね」
「水をあんまり飲んじゃだめだって。またお腹にたまるから」
「うん、それはそうだ」
「看護師さんに歯を磨いてもらった」
「そう、よかったね」
そんな会話。なんか味気ない会話。もっと話したいことがあったのに、そんなつまらない会話で今日も終わってしまう。

少しして看護師が入ってきた。
「すみません、今日色々あったそうで…」
「うん、大丈夫だよ。もう落ち着いたみたいだから」
「看護師のどなたかが腕を強くつかまれたって聞きましたが」
「う~ん、私はよく知らないけど、大丈夫だと思いますよ」
「すみません」
「大丈夫ですよ、お母様も今は落ち着いているようですし…」
看護師は母に顔を向きなおした。
「どう? まだ痛い?」
「痛い」
「ちょっと一時的に痛み止めの量を増やしますか」
看護師さんは、輸液機のボタンをピッと押す。表示されている数字が少し上がり、少しして、また元の値に戻った。
「じゃぁ、何かあったらまた呼んでください。あ、そうそう、襟のところに申し訳ないですが、スイッチをつけさせてもらっています。起き上がるとブザーがなるようになっています」
なるほど、襟の後ろにクリップのようなもので、太めの紐がついていた。紐の先は、ベッドの頭の方にある機械につながっていて、引っ張ると先端のプラスチックの端子が抜けるような仕組みだ。
「ちょっと急に起き上がったり、部屋を出るのを見つけるのにつけさせてもらいました」
「あ、はい、わかりました」
「それと、ちょっと書類にサインをもらいたいんです」
「は?」
「もし、気が動転して点滴のチューブを抜いたり、機械を止めてしまわないように、指のない手袋をしてもらうことがあります。また、暴れてベッドから落ちないように、ベルトを腰にまくことがあります。あくまで、そうなってしまったらの措置になりますが、こういうことはご家族にお知らせして承認をもらわないといけないんです」
「…わかりました。前にも同じような書類にサインしたことがありますので、今回もサインします」
私は看護師から同意書を受け取ると、自分の名前を書き込んだ。
「ハンコ持ってないのですけど」
「大丈夫ですよ、特にいりません」
看護師は私から同意書を受け取ると、ちょっと待っていてくれと言って病室を出て行った。しばらくして同意書のコピーをもって戻ってきた。
「これがコピーになります。使わないようにしたいと思いますが、患者さんにけがをさせるわけにはいかないのでご了承願います」
「わかりました」
今は落ち着いて横になっている母をみて、看護師に同意のコメントをした。

この救急治療用のナースセンター横の病室は、重症患者が多い。酸素呼吸器がつながれている人、意識がない人、ゴホゴホとしょっちゅう急き込んでいる人。ゼロゼロと痰を詰まらせている人。多くの患者さんが、結構ご高齢の方だ。母はこの間、77歳になったばかりだが、この人たちと比べたらまだ若いのだろう。

いやそうじゃない、ほんの一年前までは、元気に働いていたし、僕らの世話もよくしていた。健康が取り柄の、日本の母そのものだった。入院をして、やせ細ろえ、顔色もわるが、まだ母の面影はちゃんとある。母が眠ると、私はそっとカーテンを閉じ、ナースセンターに挨拶をして帰った。

次の日の朝、また階下で電話が鳴っている。眠い目をこすって受話器をとった。また市内の総合病院からだった。また母があばれたらしい…。こんどは「おかぁさん、おかぁさん」としきりに母を呼んでいるというのだ。いや、まったくそんなことは信じられない。そもそも母はバァチャンのことを「おかぁちゃん」と呼んでいたのだから、聞き間違いだろうと思った。家族の方が来ていただければ落ち着くだろうから、すぐに来てくれとのこと。今回も看護師長からの電話だった。

私はひねくれているのか、看護師長からの電話は、母をはやく「追い出したい」ように聞こえるのだ。前回退院する時も、「計画的に」とか「時期を決めて」とか本当にうるさいくらいに言われた。今回も、次の転院先や退院日をしきりに決めたがっている。

私は内心むすっとしつつも、母がすこしおかしいことを気にしながら病院へ急いだ。病室へ着くと、母はベッドの上で半身起き上がって座っていた。
「○○。来た?」
「ああ、俺だよ」
「ねぇ、早く戻ろう」
「どこへ?」
「自分の部屋だよ」
「??? いや、ここかぁさんの部屋だよ。もしかして家の?」
「違うよ」
「ここ病院だってわかってるよね?」
「しっているよそんなこと」
「じゃぁなんで部屋へ帰るなんていうんだよ」
「ここは違うよ、トイレの傍のところ…」
「いやいや、そこから病室を移ったじゃん。転んじゃって危ないからって」
「そお?」
「熱出してたけど、思い出せない?」
「じゃぁ、ここでいいの?」
「うん、ここでいい」

何だろう…、何だかいつもの母じゃない。それに、とうとう母はベッドにベルトで縛られてしまっていた。これが気に食わないというのもあるだろう。それに、ヘッド脇のテーブルには、指のない手袋が置かれていた。たぶん、連絡を受けた直前までこれを付けられていたのだろう。

看護師さんがやってきた。
「少し落ち着いたみたいだけど…どう?」
「………」
母は黙っている。
「ちょっと機嫌悪いみたい」
看護師さんはそう言った。
「すみません、師長さんに言われて急いできました」
「今は大丈夫みたい。でもどうしたんですかね? 先生にも見てもらっています。あと、精神的な問題もあるかもしれないので、神経科の先生にも来てもらっています」
「あ、そうなのですか」
「あとで先生からお話があるかもしれません。あと、ポータブルトイレは一旦やめました。今はチューブで尿を出すようにしています」
「え? 起きれないほどの状態ですか?」
「この前、ポータブルトイレを使うときにまたつまずいで倒れちゃって…」
「…そうなんですか」
「本人も嫌がっていたのですけどね。納得してもらいました」
「はぁ…、そうですか」
何か…、何だろうか、ここ数日何かが変だ。急に母の様態が悪くなったのか、それとも病院で動けないようにしてしまっているのか、なんか違和感がある…。

母の疲れた顔を見て、悲しくなった。本当にここにこうしているのが幸せなんだろうか。と言っても、あの痛みへの対応ができない以上、家での看護は無理だ。だからここにいるのだけど。

そのあと、先生がやってきて母の話を聞いた。情緒が不安定になっている件について、私は場所も一番手前で人の出入りが激しく、母はそれを気にしていること。また、ナースセンターでの話が自分のことを話しているように聞こえていること(どうも母は隣のナースセンターでの話に相槌をうっており、自分に話かけられていると思っている様子)、あと、外が見えないので時間感覚がなくなって、滅入っていることを伝えた。

先生は、ちょっと考えてみますと言って病室を後にした。19:00になろうとしていたので、ナースセンターにくれぐれも母のことをよろしくとお願いして、病院を後にした。

先生と看護師を交えての打ち合わせの日がやってきた。まずは、母の病室を訪れた。相変わらず機嫌が悪そうだ。すると看護師から、
「窓側の席に移ると聞いていますので、支度します」
と言われた。私は、
「え? 聞いてないですよ」
と答えた。
「あれおかしいな、確かめてきます」
と言って看護師はナースセンターに戻った。

あ、なるほどと気が付いた。昨日、母の情緒不安定の件で、聞かれて外が見えないからと答えたのだ。先生はそれに対応してくれたらしい。
先生がやってきた。
「あれ? 窓側のほうがよかったんじゃないの?」
「あ、はい、そうしてもらえるとうれしいのです。話を聞いてなかったので、看護師に予定は聞いていないよと答えました」
「はぁ、なるほど。どうします?」
「いえ、是非お願いしたい」
「ふむ、わかりました」
そう言って先生はナースセンターに戻った。

しばらくして、同じ看護師がやってきた。
「じゃぁ、支度しますね」
ベッドを移動できるように整える。別の看護師が入って来て、数人がかりだ。私は荷物を持って、入口で待機していた。母のベッドが移動してゆく。本当に窓側の場所になった。薄曇りだが、少し日が当たっていた。カーテンを開けると、冬の街が遠くに見えた。
「かぁさん、どう? 外が見えるよ」
私は母に話しかけた。
「見えるね」
母は無表情でそう答えた。続いて看護師さんが言う。
「○○さん、良かったねお外が見えるよ。日も当たっている。良かったね」
母はちょっとだけ、ほんのちょっとだけニコッとした。

少しして、看護師に呼ばれた。今後の母の治療方針を話さなければならない。
先生がCTの結果を見ながら、私に言った。
「この間の熱も下がって、病状は安定してきました。たぶん大丈夫でしょう。情緒が不安定でしたが、今日は大丈夫だったみたいです」
先生は看護師長の方を見た。看護師長は、無言でうなずいた。
「さて、今後ですが、どうなさいますか? 手術はしない方針とお答えをもらっていますので、前回同様に緩和ケアが中心の対応になります。当院は急性期病院なので、また、申し訳ありませんが通院か、転院か、自宅療養かなど、決めなくてはいけなくなっています」
「はぁ、はい」
私は半分気のない返事で答えた。
「退院看護師からいくつか転院先の候補を出してもらえますが、どうしますか?」
「はい、是非候補はもらいたいです」
「今はどうお考えになっていますか? また自宅に戻ります?」
「いえ、今回ここに入院した状況を考えると、もう自宅療養は無理でしょう」
私の答えに、一同がうなずいた。
「で、前にも話した通り、酷くなってきたたら、手に負えなくなったら、やっぱり緩和ケアの充実した病院へ移りたいと思っています」
「なるほど。」
「で、これも前にお話しした通り、がんセンターの緩和病棟が有名なので、そちらに行こうかと思っています」
「…わかりました。では、こちらから、がんセンターには連絡してみます。但し、ご存じだと思いますが、あそこの緩和病棟は入院まで非常に時間がかかりますよ。なので、それまでどうするかも決めておいたほうがいいです」
「………。ネットで緩和病棟への平均入院待ち機関が25日とありました。何とかこちらで1ヶ月くらい入院させてもらえないでしょうか?」
私は思い切って言ってみた。まだ母も本調子ではないし、退院して、また入院となると大変だ。
先生はちょっと控えめに看護師長の方へ目をやった。看護師長が口を開いた。
「分かっていただきたいのですが、長期入院は難しいのです。こちらもできるいだけ対応しようとしていますが、空ベッドや救急対応などがあって、本来の病院の業務のためにも理解いただきたいです。まずは、がんセンターにこちらから聞いてみます。待期期間が長い場合は、あきらめてください」
「お願いします」
と私は頭を下げた。
「では、方針は転院するということですね。先ほど言ったように、一時転院先はやっぱり考えておいたほうが良いので、資料をお渡しします。また、一週間後に一時転院先として望む病院を教えてください」
話し合いはそれで終わった。やっぱり、どうしても、この病院には長くいられなさそうだった。
先生から一言あった。
「こういうことを申し上げるのは残念ではありますが、たぶん、前回言っていた余命一年という状況とは変わってきています。今は申し上げられるのは、それよりも短いということです。その辺も含めてよくお考えになってください」
何だろう。どういうことだろう…。整理がつかない。9月の時点で1年くらいの余命だった。それが、もっと短いと言う。つまりは悪化しているということだ。入院中CTをとって何かわかったのかもしれない。どうりで、母の腸閉塞の手術を勧めなくなったわけだ…。
しかし、だからと言って、私たちにどうすればいいのだろうか。母はどうしたら、少しでも幸せになってもらえるのだろうか?

[▼次へ] 44. 窓の外