「気にしなければ思い出しもしない」
世の中にある物事なんて、しょせんそんなものなのかも知れません。今日9月1日は「防災の日」。なぜ9月1日が防災の日かは調べればもちろん情報は出てくる。
さて、ソラで思い出そうとしてもこれが中々難しい。確か、台風…二百十日に関係していたような気もする…。そんな曖昧な記憶をもとにザックリとググってみると、関東大震災があったのが9月1日だったとのこと。
………。う~ん、それは記憶に留めていなかった。あまりに普通の理由すぎて「覚える」という気にならなかったのだろうか。
今日は家でテレワーク。午前中は市役所の広報がアラームと共に屋外に響き渡っていた。いわゆる防災訓練だ。
会社も事業継続計画を持っているので、災害時の対策も訓練を含め業務の中に盛り込まれている。この時期になると、PC 上でオンライン教育を受講したり、動画を見るなどの対応があり、また、会社携帯 (スマホ) を通じて、状況報告をする訓練も執り行われる。
それにしても、防災の日に留まらず、世の中の色々な物事にはきっと起源があるのだろう。もちろん、ないものもあるのだろうが、何かの理由で「そのようになった」のだろう。
ただ、何となくそういうものか…と思って気にしない物事も多い。きっと時代が巡り、遠くない未来には因果の「因」が失われてしまうのかも知れませんね。
会社の中のルールや仕組みも、何故そういう決まりなのだろうかというものもあったりするのですが、当時や制定時を知っている人が退職してしまえば、もう形だけのものとして存在することにもなってしまう。
設計書であっても、何故その設計になったのか、その理由が“読めない”設計もあったりするのだが。
私も昨今はできるだけ記録を残すようにしている。なぜ、そう考えたのか、そう判断したのかの補足も付け加えて。間違っていたら恥ずかしいのだけれど、技術系は間違いは間違いと認め、修正して先に進まなければならない。恥ずかしいなんて言っていられないのだ。
おっと、また話がずれてきてしまった。とにもかくにも、経年劣化で因果の因が失われないようにするのも大事だよね、と少しだけ思った次第。(少しだけ…ね。もう最近はど~でも良くなった (笑))