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坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~

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ご機嫌麗しゅう。


全然更新出来ていなかったので
大体2月〜今日に至るまでを
覚えている範囲で、
振り返っていこうと思います。


あれ?さっきすれ違った人
元バイト先の飛んだやつじゃね?


くらいの感じの振り返りを
見せていけたら最高ですね。





2月は、そうですね、
30代はイキり散らかすを
テーマに掲げていますので、
その風呂敷を優雅に堪能するかのごとく、
初めて白湯(さゆ)を買ったりしました。


セブンでね、売ってますよね。
白湯を買いました。


というかもうセブンイレブンの事を
セブイレとか略しません。


セブンです。
仮にも大阪の都心部で
活動している人間が
セブイレなんていう
野暮ったい略し方をするなんて
ご法度じゃないですか。


その理論で僕は
イナズマイレブンを
イナズマと略していますからね。



筋は通します。


にしても、白湯ね。



これに関しては本当に
イキってると思う。


25歳くらいまでは自らの
健康など顧みずに炭酸ジュースを
たっぷり摂取していたのですが、
そんな自分は見る影もありません。


白湯でまず体内の
むくみを排出したいんです。


そんな美意識が増した2月です。



3月はね、
現在進行形で髪の毛を伸ばしてるんですが
パーマの代償で
髪の傷みがとても気になって、
ヘアオイルとヘアミルクなるものを
購入しましたね。

これも初です。

このヘアオイルにとどまらず
ヘアミルクなどという
訳のわからん美容液を購入する事で
イキる事への造詣の深さみたいなものを
ブーストさせてみたかったんです。


にしても、なんか良い。
ヘアオイルは勿論良い匂いで良いし、
ヘアミルクもなんか良いのでとても良い。

この突如として語彙力が
追い剥ぎにあってしまうくらい、
美容というものは奥が深いです。


さらに3月は62kgくらいの体重を
55kgまで落としたい、という
唐突な衝動に駆られ、
糖質にとどまらず脂質さえも
極力摂取しないという生活を
スタートさせ、59kgまで落ちた時点で
糖質と脂質を同時に摂取しないのは
良くないという目から鱗、ならぬ
考えたら分かるやろ情報を入手し、
さらにそのタイミングで
176cmで59kg!?ほっそ!!
と言った意見を沢山頂いたので、
馬鹿らしくなりダイエットはやめました。


今はお寿司とかモリモリ食べてます。


4月はですね、
さらなる生活スタイルにおける
健康面での欠陥を補うべく
カフェラテを砂糖不使用カフェラテに
切り替えました。

僕が唯一飲み物で砂糖を摂取していたのが
カフェラテなんですね。
だったら、あともう一歩じゃん
という事で、カフェラテを
砂糖不使用カフェラテに替えてみたら
普通に美味しかったので、
これは継続出来そうです。


というかその、白状します。
30代はイキる宣言はですね、
先程から健康が〜とか言ってますけど、
そんな事は二の次で
全て『カッコいい』に紐付いているんですね。



白湯を買うのも、
白湯を持ってる自分カッコよくね?

という発想からなんです。


考えてください。
激甘ジュースを持ってるのと
白湯 を持ってるのでは
かっこよさが一目瞭然じゃないですか。

ジュースを買う人を否定してる訳ではなく、
あくまで自分の美的センスのお話ですよ。


ヘアオイルやヘアミルクを買って
塗りたくる自分、
カッケェよ。なんです。


砂糖不使用のカフェラテを
選んで買う、レジの店員さんへの
カッコよさアピールでもありますね。


アイスやお菓子を滅多に食べないのも
カッコいいからなんです。
自分的に。

すんませんね。ほんと。
こんな性格は恐らく一生治りません。


小学生の時もカチューシャするのが
カッコいいと急に思い立って
付けて学校に行ったら非難轟々で
速攻外したりしましたからね。


そんな感じなんです。




あとこれはご都合主義の権化なんですが
酒は浴びるほど飲みます。
それはもう、はい。

そんなのカッコいい訳はありませんが、
ある程度クズ要素を持ち合わせてる俺もまた
カッコいい、なんですよね。


黙ります。


以上、振り返りでした。












人に対してマイナスな意味での
『変わった』或いは
『変わってしまった』などと言う所感を
持ってしまう時がある。


それは、身近な人から
テレビの向こう側の人間にまで、
対象になるものは多い。


今回は自戒も込めて、
人間がその第3者に対してくだす
変わった という安直な評価に対して
メスを入れていきたい。


『変わる』と言うものはいつだって
相対的な評価だ。
何か比較対象が存在して成立するものである。
つまり、必ずしもその人が変わった訳ではなく、
知らず知らずのうちに、
自分自身が変わってしまっている場合がある。


僕が苦手なのはその短絡的発想だ。
あたかも『アイツは変わってしまった』
『あんな振る舞いをする奴では無かった』
などと言う一方的な感情は、
自分はさもしっかりとした軸の持ち主で、
自分自身が変わっている筈がない、
と言う疑念の無さ、それは
もはや驕りがあるように思える。


つまり要約すると、
まずは己を疑え、と言う事。


先程にも供述した、
『変わった』という観点は
あくまでも相対的なものだ。


その人は、とりたてて何も変わっていない。
自分自身が、違う方向に行っている。

であったり、

向こうは確かに変わった。
自分自身が、ただ取り残されているだけ。

であったり。


また、後者がより厄介なのは
『この人はいつまでもこうあって欲しい』
という極めて主観性の高い理想が
追随しているように思う。


そんな変化のない、
よくない意味での安定性のあるものに、
人は固執してしまうのだ。

極端に人は変化を嫌うし、
変化を怖がってしまう。

自分の変化も、そして周りの変化も、
好きだったものが変化しまう事に対しても。



例に挙げるなら、
僕は中高生の頃
アジアンカンフージェネレーションと言う
バンドに没頭していた。

今でももちろん好きだ。


初期〜中期あたりの、
エモーショナルで文学性のある歌詞が
好きだった。

しかしながら、徐々に作品性は進化し、
サウンド面も歌詞においても、
少しずつ、エモーショナルな
要素が減ったぶん、包容力が増し
歌詞のアプローチの角度が変わっていった。


その時僕はマイナスな意味で
『変わってしまった...』と捉え、
初期アジカンに思いを馳せ
ついには新譜を追う事をやめた。
そんな時期もあった。

(今は新譜が出ると必ず聴く)

アジカンは元々そういう一面も
持ち合わせていた、
その方向性を視野に入れていたのに関わらず
自分がその変化に怯え、拒絶した。
自分自身がただ置いていかれていた。
それだけだ。


では何故置いていかれてしまうのか。



アップデートという言葉がある。
価値観や発信の手段のアップデートが
好きな人は、どんどんアップデートする。

今で言う多様性というものを、
どんどん取り入れる。


アップデートが面倒くさい人は
いつまでもアップデートしない。


その軋轢は、ただの片方の怠慢なのに、
いともたやすく第三者から
『変わった』というレッテルを貼られる訳だ。
これは甚だお門違いである。


あなたは誰かに『変わった』
と言われた事が無いだろうか?
誰かに『変わった』と言った事が
ないだろうか?

そしてそれは、あなた自身が
本当に変わったのか、向こうが
取り残されてしまっているのか、
あなた自身が向こうの変化を
拒絶しているのか、
さてどうだろう。


以上のことから、
僕は安易に人に変わったという
評価をしないようにしている。

自分自身のアップデート力や
洞察力に余念なく生きてから
ようやくくだせる評価だからだ。


ただ、明らかに素行が不良になっていたり
100対0のような相対的な範疇を超えた
世間的な変化の場合は、
それは言ってあげよう。

今回取り上げた変化というのは
機微なものなので、
どうしても抽象的になってしまう。
申し訳ない。
文章力を高めたい。。


とかく、今回の記事は
変化とそれに付随する感覚について。
でした。













最強寒波到来。

冬は好きだし寒さは得意だが、
あまりの前情報の煽りに、
少しビビっていた。


いやはやそんな事よりも、体調が悪いのだ。


自分の身体のフェーズは
自分が1番把握している。


これはアレだ、フェーズ②と③を
のらりくらりと彷徨っている。


フェーズ① 元気
フェーズ② やや元気では無い
フェーズ③ 無理をしたらアウト
フェーズ④ 風邪

明らかに②と③を右往左往している。


なんかこう、体内の免疫軍団に
『元気』を人質に取られている 
感覚である。

『それ以上頑張るな!少しでも頑張ってみろ、
こいつ(元気くん)がどうなるか分かってるだろうな?』


という、そんなような感じだ。



なので落ち着くまで家にいる事にした。
免疫軍団にそういうアクションをとられたら、
俺はもうそれに屈服するしかない。


屈服どころか、あらゆる栄養をお渡しする。

ビタミンやらミネラルやらをこれでもかと
差し出し、土下座をする。


風邪引くのはゴメンだ。
早く元気くんを取り戻したい。




ネットでは『雪がどうだこうだ』
『水道管の凍結がどうだこうだ』
『キショい男のLINEがどうだこうだ』の
話で持ちきりである。


キショい男のLINEのスクショは、
都心部のネズミの如く湧き出てくる。

俺はそれを反面教師にし、
とにかくキショくない男でいるよう
心掛けるのだ。
普通でいるだけで、
相対的に評価があがる。はずだ。

そう考えると、キショ被害に遭った
女性には同情するが、
キショい男も必要悪なのかも知れない。



さて、そんな事よりも


流石に雪、降るか?
と、家にいるもののソワソワして
幾度も窓の外を確認するも
ひと雪も降っていない。


齢30にして、雪が見たい。

なんだろうか、とても見たいのだ。
子供の頃よりも、見たい。

歳をとるとどんどん桜を綺麗に
思えてくる、花より団子が逆転していく
みたいな感じで、
自然が織りなすものに
惹かれていく自分がいる。


子供の頃、大人たちが酒を飲んで
談笑している場面に出くわす時、
『大人って、ご飯そっちのけで喋ってるやん』

って、ずっと思っていた。


目の前にご飯があるのに、
肉があるのに、
それに目もくれず各々の
渾身のエピソードトークに華を咲かせている。

その光景が少し不思議だった。


でも、今なら分かる。

目の前に御馳走があるのは
もちろん嬉しい。
しかし、
大切な人と約束をし、集い、
その刹那的な空間においては
食事に比重を置くのではなく
対話に比重を置きたいのだ。


大人なってから分かるものが、
まだまだ残されている。

そして、雪や桜に心奪われ、
順調に歳を取るのだ。



さー、今年も頑張るか!
早く体調治そう。