不登校YouTuberのあれこれ | 坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~

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不登校YouTuberが話題だ。


これに関して、今日は書きたい。


話題になるや否や、

批判の声が多いように思える。


叩いてる人の気持ちは

とりあえず僕には分からない。



確かに、小学生という

義務教育の序盤を放棄し

ネットの世界で好きなことをして

生きるという生き方は

よく言えばパイオニア、

そして未だ前例が無いために

普通に学生生活を

歩んできた人達にとっては

拒否反応が少なからず出るのだろう。

見たこと、触れたことのないものは

なにかと拒絶してしまいがちだ。


それは多少理解出来るけれど、

かといって10歳そこそこの子に

赤の他人が容赦のない

言葉を浴びせてまで

ムキになることか?と思う。


結果として彼が18歳くらいになった頃

そのスタイルが成功して、

収入も得ていれば、

批判していた人達にザマーミロ!

と言えるし、

失敗したらしたで、まだその若さなら

幾らでもやり直せると俺は思う。



批判をしたところで

時代と共に価値観というのは

進んで行く。



僕は生活上、

10代の子たちと話す機会が

人よりも多いと思う。


その子たちと対話してて

1番感じる共通点は

『理由なき虚無感』がある。



過去に悲しかった事や

辛かった事といった

決定的な起点はなく、

なんとなくしんどい、

ただなんとなく、生きづらいのだ。


彼らと話してると

そんな事をよく感じる。


誰のせいでもなく、

ただただ時代背景がそうさせてると

思う。


僕は音楽をやってる側ら、

その支えになりたい。

なにか突破口を開くひかりみたいなものを

当てる側になりたい。


だから、若い子たちと話してて

勉強になるし、刺激をもらえる。



率直に言って、昨今の

見たことのないものに直面した時の、

良い年した大人の拒絶からくる批判は、

かなりしんどい。

かなり精神にくるものがある。


それが自分に向けられた言葉ではなくても。

そういう思想に渦巻かれている実態が恐い。



確かに、学校というのは

集団行動、最低限の教養、道徳、

を学ぶ貴重な時期と場所だ。

僕は友達も彼女も思い出も出来た。

その経験が社会の中で役立ってるとも言える。



しかし2019年になった。

あらゆるものが劇的に変わっていってると思う。

小学生だってプログラミングが出来るし

YouTubeを開けば、どっかのチャンネルで誰かが数学を教えてくれるだろう。


もう、こんな時代だ。


僕たちが生きてきた

2000年代~2014年くらいまでは、

何もかもの過渡期だったと思う。


それが今はある種の1つの

到達点まできている気がする。


なので、早い段階で達観してしまった

子供たちは、学校に行くという

発想にならないのも無理はない。


さらに学校というのは

リスクがあるとも思っている。

仮におよそ何百人しかいない

1学年の全員と反りが合わなかった場合、

自分は社会不適合なのかもしれないという疑念を余儀なくされる、

残酷な一面を持ってるとは言えないだろうか。


固定された人間関係のせいで、

本来のポテンシャルが引き出されない

可能性だってあるはずだ。



詰まる所、学校には

行けば良いとも思うし、

行かなくても良いと思っている。


ただ、行かない選択をしたなら、

後ろ指刺されたって

笑われたって気にも留めないような

強さと覚悟を持たないとな、と思う。


やりたい事が見つかったんなら、

今のネット環境を全て駆使して

とことんやろうや。


批判した人も、一旦落ち着いて

よそ見せずに自分のこれからの人生が

よりよくなる方法とかを

考えた方が良いと思うぜ。



否定する事は簡単だからね。





以上。