唐突な話にはなるけど、
俺は多分、友達や家族の1人が突然、
全身にタトゥーを入れたいとか、
仕事を辞めて
宇宙を旅したいだとか言っても、
決して否定はしない。
おう!そうしたいなら、
そうすりゃ良いじゃん!
と、全てを肯定する。
勿論、LGBTだったり
そうゆう心の問題にだって、
なんの抵抗もない。
昨今のネットサイトなどの
会員登録における
男か女かの二者択一を強制的に
迫られる部分に遺憾を感じている。
当てはまらない人だっているだろう。
やりたい事や、
自分がこうありたい理想像。
明らかに無謀だったり、
明らかに迷惑がかかったりする事以外、
その人が、それをしない事によって
その人の神経が削られ日々浪費する
くらいなら、
生きたいように生きるべきだし、
こんな事は言わなくたってそうだ。
俺は、家族に恵まれ
生きたいように生かせてもらえてる
お陰で、恐らく明日もし死んでも、
(売れていない悔しさとかはあるけれど)
生きたいように生きれなかったという
悔しさは全くない。
それは他でもない、
生きたいように生きれているからだ。
嗚呼、生きたいように生きて
自分がやりたい事をやった生涯だった。
俺は俺で良かった。
そう思えて死ねるだろう。
(あ、死なないよ。笑)
つまるところ、
人が、なにかを始めたい時や
なにかを辞めたい時は
それは本能的で能動的なものであるから
基本的にはそれに従うべきだと思う。
誰かに止められたって
その止めた先の結果を
その人が保証してくれる訳ではない。
そう、自分の人生は
自分が肯定する。
経済的な理由や物理的な理由で
それが不可能なら
その中で狭まった選択肢の
1番近い最善策を取る。
俺は、この1年、バンドが
思うように動かせられなかった反面
選択肢が狭まった。
その中の最善策を取った。
逆に言えば、こうするしか道はない。
そう思えるようになった。
いつ如何なる時だって
道は微かに開けている。はず。
お金が無いのなら
お金がないなりのやり方があって、
例えば人見知りなら
何故人見知りなのかを考えて
その性格と付き合いながら生きてゆく。
なにか明確な目標を持っている人、
なにかを始めたがっている人、
なにかを辞めて再スタートしようと
している人がとても好きだ。
話をしていてとてもワクワクする。
どうせなら、
ワクワクしたい人生。
俺は今、これで合っているのか
わかりゃしない道を進んでいて
もしこれが間違ってても、
またやり直せばいい。
そう思っている。
皆が皆、そうであって欲しい。
この道を歩いていけば、
まぁとりあえず間違いはないだろう
そんな道に、君の未来はない。
不安定でグラグラで
明日なにが起こるかわからないけど
何故かワクワクして
ドキドキして、生きている実感がする
そんな日々を美化する気はないけど、
でもそんな日々が無く
終わりを迎えたとして
死ぬ間際に、君はなにを思うかな。
何を思い返すかな。
俺は俺を過ごした日々を思い返すだろう。