Sound City 1969年製 L-100 Mark-3 Head CUSTOM BUILT
ナマステー
HOWL GUITARSのhiroggyです。
前年のブログに続きイントロ文で、インド一人旅の中で起きた事などを面白おかしく文章に表してみようと思います。旅の供に持って行った小説が村上春樹氏の小説だったので、ちょっとハルキノベル風旅行記にトライしています(笑)
最初の滞在地、ゴアでのアレコレ。
楽器説明文と写真だけ見たい人はサーとスクロールダウンしちゃって下さいヾ( ´ー`)
インド旅行記 (7) ゴア編 「チャイスタンド」
チャイスタンドでバイカーおじちゃんとビールケースの椅子に座ってチャイを飲んでいると、次から次へと人が集まってきた。近くの工場で働いている若い娘たち、バナナの入った大きな籠を頭に乗せて自転車に乗った青年、アイスクリーム売りのおじさん。どうやらこのチャイスタンドはみんなの休憩所のようだ。ビールケース椅子は二つしかなく、みんな立ち飲みか直接地べたに座り込んだりしていた。工場の制服を着た若い娘たちの一人が携帯電話を取り出して写真を一緒に撮りたいというので、チャイスタンドをバックに記念写真を撮った。カメラマンはバイカーおじちゃんが勤めてくれた。合計5台の携帯に僕とインド娘たちの微笑ましい写真が保存された。みんな驚くほど目が生き生きしていて白目と黒目のコントラストがくっきりしていた。今度はバイカーおじちゃんも負けじと記念撮影。チャイスタンドのおばちゃんも加わった。
僕はチャイスタンドを出て、さっきチベットレストランでのことを思い出してコーナーショップをiPhoneで聞きながらしばらく大通りをノリノリで歩き続けた。貯水池の跡のような広いグランドで子供達がサッカーの試合をして遊んでいる。グラウンドの淵のコンクリート堤には大人たちが座っていて子供達の試合を観戦していた。そういえば、空港からタクシーでビーチまで来る途中に何度か道沿いに大きなサッカーの宣伝看板を見たのを思い出す。僕は猛スピードで通り過ぎていく看板をぼんやりと横目でしか見ていなかったが、その大きな看板にジーコに似た人物が写っていたと思う。かなりなそっくりさんがいるもんだなんて思っていたが、現在FCゴアの監督は日本代表の監督も務めたジーコだということを後で知った。いまゴアのサッカー事情は相当な盛り上がりを見せているようだ。
グラウンドを通り過ぎると昨日の昼に入ったドーサ食堂のところまで来た。僕はすでに何度も歩いて知った道をゲストハウスまで戻ってシャワーを浴びて今日一日で身体にまとわりついた潮風やホコリを洗い流した。一日に何度もホットシャワーを浴びれるのもこのゲストハウスが最初で最後だった。
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それでは本題の楽器紹介へ移ります。
今回ご紹介する音響街的なアンプは
Sound City 1969年製 L-100 Mark-3 Head [CUSTOM BUILT]
とても珍しく希少な60年代のSound City L-100 Mark-3 Headが入荷致しました。
HIWATTの創始者デイヴ・リーヴスがSound Cityの100Wアンプのデザインと製造を担っていたのは有名な話ですね。
アンプブランドで認識されている「Sound City」は60年代中期にロンドンのウエスト・エンド地区に3店舗あったDallas Musical Ltd社の経営する楽器店の名前でした。つまり楽器店の独自ブランドとしてうまれたアンプがSound City Ampということです。ジミヘンなどの使用で有名なファズペダルAbiter Fuzz Faceも同社がこの時期に発売していました。67年頃にはDallas Abiter Ltdと呼ばれるようになったようです。
デイヴ・リーヴスがSound Cityのアンプ設計やデザインをする仕事を得たのもこの頃で、この当時はHylight Electronicsという会社名でアンプの修理や製造をしていました。そして今では世界中のマニアが血眼になって探しているSound City "One Hundred" もしくは "Mark 1" を製造します。このモデルはマスターヴォリューム回路搭載、パートリッジトランスを使用するなどまさに "ミリタリースペック" で後のHIWATT DR103の原型ともいえる仕様です。このMark 1を使用したギタリストで有名なのがJimi HendrixとThe WhoのPete Townshendです。
その後は設計やデザイン変更にともなってL100 / B100 (Lead 100W / Bass 100W) Mark 2と名称が変わり、Mark 2、初期のMark 3の段階まではデイヴ・リーヴスは関わっていたと言われています。この頃同じくしてデイヴ・リーヴスはDallas Arbiter社を去り自身アンプブランドHIWATTの製造を始めます。L100シリーズの最終形態ともいえるMark 3の製造にDave Reevesが実際関与をしていたかは定かではありませんが、HIWATT DR103とSound City L100 Mark-3の内部回路やレイアウトは驚くほどそっくりです。
デイヴ・リーヴスがSound City Ampの設計や製造から手を引いてHIWATTを始めた理由に諸説がありますが、主な理由としてはDallas Arbiter社側の、楽器店でアンプからマイクからPAシステムまで全て同ブランドで揃える体制を作りたい為にローコストで大量生産の要求に、デイヴ・リーヴスは納得ができなった。ということです。高品質のパートリッジトランス、高品質コンデンサー、それをひとつひとつ丁寧に組み合わせ、まさに高いクラフトマンシップが要求されるミリタリースペックアンプ製造こそデイヴ・リーヴスの求めるものでした。
さて、この個体に話を戻します。この個体Sound City L100 Mark-3の中でも初期の方に作られた1969年製。頑丈なパートリッジトランスをシャーシの両端に2台搭載し、基本的なレイアウトはMark1から変わっていません。内部コンデンサーにはMullard Mustardコンデンサーが数多く使われています。背面にはMark3から新たに"Reverberation"と名付けられたエフェクトループのIN/OUTが設置されました。Sound Cityのロゴは黒いパネルに白い文字でアンプキャビネットセンターに位置しています。カヴァリングはスムースブラックトーレックスにゴールドのパイピングが使われています。
シャーシ上面の真空管とフィルターキャップのレイアウトはSound City/HIWATT特有で、4x EL34、3x ECC83、 1x ECC81の真空管を使用しています。NormalとBrilliantの2チャンネルでインプットは合計4つ左側に位置しています。EQはBass / Treble / Middle / Presenceの4つ。それぞれのノブは色分けされています。
HIWATTと同じく、音量をあげてもクリアで芯のハッキリしたサウンドの爆音100Wチューブアンプです。もちろんエフェクトペダルの音のノリは抜群に良く、音響機器として本当に素晴らしいギターアンプです。
それではお写真を公開します。
オリジナルのロゴは黒いパネルに白い文字でアンプキャビネットセンターに位置しています。
コントロールパネル左側です。NormalとBrilliantの2チャンネルでインプットは合計4つ左側に位置しています。Hiwattと同じくインプットジャックは上がLowで下がHighです。
コントロールパネル右側です。[MARK 3 CUSTOM BUILT]の文字が確認できます。
back viewです。
ヴォルテージセレクターです。105/115/225/245が選択可能。
中央にあるDallas Abiter Ltdのプレートにシリアルナンバーが刻印されています。"Reverberation"と名付けられたエフェクトループのIN/OUT
インピーダンスセレクターとスピーカーアウトプットです。
バックパネルを外した状態です。
シャーシを取り外したキャビネットです。
取り外したシャーシです。両側にパートリッジ製トランスが鎮座しています。EL34パワー管の熱を遮断するためにフィルターキャップとの間に仕切り板があります。
ブロック型の電解コンデンサーとプリ管の並びです。電解コンデンサーは交換されております。
オリジナルのPartridge製パワートランスです。
オリジナルのPartridge製アウトプットトランスです。
シャーシ内部の画像です。綺麗なレイアウトです。
シャーシ内部左側。いくつかコンデンサーが交換されていますが、オリジナルのMullar Mustardコンデンサーも多く残っています。
シャーシ内部右側です。1969年製のHiwatt DR-103とほとんど同じ回路です。逆を言えば1969年製のHiwattのサウンドが欲しい場合はSound City L-100を手に入れればOKということです。
なかなか市場に出てこない60年代のSound City L100 Mk-3。
100Wの出力で圧倒的なパワーをもったアンプです。
大音量で図太いクリーンサウンドがでて、リズムプレイにはもってこいのサウンドで
エフェクトペダルのノリは抜群です。
当時の高品質パーツがふんだんに使われています。
お探しの方はこの機会に是非!
hiroggy
HOWL GUITARS