自分で自分のことってよくわかってないものだな~
寝込まない、余裕がなくならないようにする、自分で抱え込まない
それを目標にしたときに気づいたわけです
自分の容量に!
娘が生まれる前も、もちろん生まれてから現在に至るまでも
あれです
私ってば自分の持てる以上のモノを持ってた
自分の価値が、自分を大事にではなく…
世間から外れてしまった自分が、世間的に一般的に普通はきっと…
そう思って…
これくらいできないと、みんなはこれくらいやれてるのに
そしてまわりにどう思われるか、まわりの評価が生きえいる上での重要なこと
そう思ってたんだなぁとね
少しずつ解放されて
実家の家族の支えや言葉が土台にあって
夫の、批判や状況を知らない人の言葉を中心にする必要はない
なぜならその人たちは言うだけで、かなえを助けてくれるわけではない
なら本当に助けてくれる人(家族・友人)の言葉が本当に必要な留めておくべき言葉だ
この言葉を本当の意味で納得できるまでにはとても時間がかかったけど
そこからまた少しずつ大事な事、自分を生きること(自己中になるという意味じゃないけど)を目標にして
やっとここにたどり着いた
みんなができることができない自分にとにかく落ち込んできたけれど
(睡眠を普通にとれる、対人対話、外に仕事にいく等々のたくさんのこと)
今も、「みんなができることができない」って言葉にしてしまえばそうだけど
以前は私はこれしかできないだったのに
今の私は、「自分にできるのはここまでだ、自分の限界はここだ」になりました
同じだけど、同じじゃない
頑張れてないと泣いてた私に、夫が
「頑張りは人と比べるものじゃない、比べなければならない時はあるけど、個人の力量は同じじゃないから、頑張れる力は違う」
そして
充分頑張ってるよと言ってくれてました
他の人が10できる中、私が4しかできなくても
私は4できる!でいいんだと
捉え方、言い方をかえただけで、こんなにも意味がかわるわけですね
日常を過ごしているだけだと、確かに疲労感(精神的なのが主に)が少ない
夜まで穏やかです
娘が昼寝したら休みます
夜8時以降はケータイやテレビは見ない
やらなきゃやらなきゃを捨てる
やれることをやる
みんなはこれくらいやってるよ
私はあなたよりもっと大変で色々やってるんだから!
私にできないんだから、あなたにはもっとむり
環境、状況、地域、個人
そんな風に言われるたびにもっとやらなきゃ、がんばらなきゃと思ってた
違うんだから、人と比べることになんの意味があるんだろう
その人にどう言われようが、大事なのは自分の生活を自分を守ることなんだと
もちろん、人と比べて頑張るべき事もあるわけだけど
今の私はそれじゃない
私は4できるタイプの人間だ
(4しかできないと言わないのがポイント)
まだ蓄積されてる肉体疲労・精神的な疲れが抜けてないので
まずは無理なく疲労感を抜いてって、自分らしい暮らしをしようとおもいます
やっぱり娘も、私が落ち着いている時の方がのびのびしてるもんね
お父さんと水遊び中↑
夏の間に娘とたくさん水遊びをしておこうと思います