「待つ」という事の本当の意味 | リフレクソロジーサロン宮〜札幌

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私はリフレの卒業試験を通して、本当に多くのことを改めて考えさせられ

気づかされました。


それは・・・

育てるものの姿勢。


自分は未熟者ですが母親で、子どもを育てています。

また、幼稚園教諭として、保育士として、子どもを育てるという職業についていた。


「育てる」


特別な仕事についていなくても、子どもがいなくても、

そういう立場にたたなくてはならない場面が誰にでもあると思います。

(アルバイト先で新人さんに仕事を教えるのも、育てることにつながりますよね)


「育てる」は「育ち合い」だといつも思います。


そして・・・

育てる側は、いくら言葉にして伝えても、手とリ足とリ教えても、

押したりひいたりしても・・・

最後には、本人が育つのを待つしかない。

この「待つ」というのは、100パーセント「忍耐」なんだと思います。



何か他の事をして時間つぶしをしていては、「待つ」ことにはならない。

常に、関心は本人(本題)に向いている。

じれったくて、待っている間にいろんな不安や迷いが襲ってくる。

信念を、足元から揺さぶられる。

けど、相手を信じて待たなくてはいけない。


かつて臨床心理学講座を受けていた時に、こんな話がありました。


子どもが問題を起こし、反省し考えさせる為に外物置に閉じ込める。

子どもは真っ暗な物置の中で、泣いたり、怖がったりしながら、色々考える。

その時、親はどうしているのか?

例えば、その日が寒い寒い夜だったとしても、物置の入り口で待ち続けなければいけない。

そうやって、同じ時間、同じ葛藤、苦しさを共有する。

物置の扉を開けた時、子どもは気づく。

自分より、親の体が冷え切っていることに・・・

その瞬間、親は本当の意味で子どもに寄り添い、

子どもは「信頼」というパワーを糧にして、大きく伸びる。



渦中にいる時は、自分が一番辛いような気がしますが、

実は側で見守っていてくれる人、信じて待っている人も同じように辛い。


でも乗り越えた時は、両者にそれぞれの答えが見つかる。

同じ時を乗り越えたから、答えは違っていても、一体感がある、「勇気」になる。


人と人が関わりあって生きていくように、なっている本当の意味は、

そこにあるのだと思います。



だって、一生自分の答えは自分で見つけていかなければならないのだから。


育てる立場

育てられる立場

生きている間に人は、その立場を何度行ったり来たりするのでしょうか。


それを全身で受け留め、感じ、悩んだ分だけ、

全てが学びとなり、心に刻まれていくんだろうと思います。