親しいなかにも礼儀あり。

この教訓は、私が上京してから特に身に染みた。

こっちにきて仲良くなった学生時代の友達、職場の同僚に対して、些細なことでも「ありがとう」ということが知らぬ間に身についていて。実家に帰って家族にも自然にいえるようになっていた。

悪いことではないのだが。なんとなくもどかしくもあった。

昨日、帰宅してテレビをつけたら赤塚不二夫のドラマをやっていたようだった。最後のドキュメントぐらいに間に合ってみていたら。告別式の時のタモリの言葉もながれた。

生前、お世話になりっぱなしだったが、タモリは赤塚氏にありがとうということはなかったと。肉親以上の間柄だと自負していて、その言葉を使うのが他人行儀な気がして嫌だったからだという。赤塚氏もそれは同じで。あなたがいない今、改まってありがとう、と。

ありがとうと言わない間柄。それもそれでふに落ちる。無意識では間違いなく「ありがとう」と思っていても、あえて口にしない。でも心が通い合う強い絆。上京する前の自分がありがとうと口にした記憶があまり思い出せない。言ってるとは思うが、意識的に口にしようとするものではなくて、当然のように使ったり使わなかったりしていたからだ思う。

いま、ありがとうって言わない関係って成り立つだろうか。意識的になってしまった今、この先結婚とかしたら、ありがとうはきっと必須なのかな。

本来ならばすべてがありがたいこと。言葉にすることは決して悪いことではないと思う。やっぱり。

ありがとうって言葉は好きだけど、永遠じゃないことも知らしめる切ない言葉なんだな。

こんなことで、自分の奥がみえるなんて(苦笑)。

本当は、ありがとうと言わなくても互いに解りあえるような堅苦しくない間柄に憧れていたんだな。有り難いとか思えないようなずっと続くような。

そんな関係は努力なのかなと思ってる自分と、でもたまに最初から話があう人もいるな~と思う私。両方ある。

風が吹かないものかねー。

「子供に喜びをもたらす人こそが、本当の大人です」


今日読んだ本にありました。


そう心がけたいもの。

最終日。映画のSEX AND THE CITYを観た。


みんなひとそれぞれでいいじゃない。と。


相手のこと考えすぎて自分がおろそかにしたり、自分のことばっかで相手を置いてけぼりにしたりして。

どちらかが窮屈にならないように。


持ちつ持たれつ、お互い様なんだな、と。


あと、オシャレ欲が沸くと、なんとなく生きるモチベーションが上がる(笑)。

映画終わった後で、ダラダラ歩きながら、お店や街の行き交う人をみていた。

それだけでも、物欲が沸くとか思うわけで。

帰ってきて、HEL LOOKSをチェック。

スナップはためになる。

そんなことを思ってたら、なんかしなびた気分が潤った。


分かってくれる人がいることはありがたい。

誰かがいることは幸せだけれども、自分自身で楽しめなくてどーするよ、と映画を観て、感化。

だれかに期待したり、依存しすぎないように。自分のことは自分で。当たり前か。