「僕、パンクロックが好きだ」と叫びながら、スタンドバイクをしっかとつかんで立っているヨレヨレのヒロト
マットに倒れてもなお、ロープを手繰って必死に立とうとするファイター
なぜか、ふと、頭に浮かびました。
私はずっと持ち続けている自分の夢に対して葛藤しています。
ずいぶん大人な年齢になってしまって、夢よりも現実が、当たり前のように頭をもたげます。
生活のことを思えば、夢はさておき現実味のある生活のすべをつかむべきなんだろうと。
けれど、そこには社会人として仕事をまっとうする責任が伴います。
だからこそ、安易につかんではいけないと思うし。
さらに、それでは仕事を辞めた意味がない。とも思っているのですが、
夢にしがみつくことが果たしてよいことなのだろうか、と。
私は何度か転職を繰り返していますが、やっぱり、頭に浮かんだ彼らの姿のように
ある思いによって支えられて、沈んでは立ち上がっている繰り返しのような気がしました。
彼らはその夢をがっつりつかんでいるのだから、その点で私とは違うのだけど。
私も夢に近づいてきたのにな。でも、ここであきらめてはいけない気がする。
自分の生き方を彼らのように重ねるにはまだまだだけど、でもそれに近いものなのかなと思ったのです。
かといって、自分もそうでないと生きられないと、確信できるほど、強くないな。
いわば憧れ。
「君に伝えた情熱は あきれるほど情けないもので」というフジファブリックの歌詞にゆれている今日この頃です。
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「これが自分だ」とやっとこさ自分でたどり着いた結論も、他の誰かがもうすでにつかんでいたものだったりするから、自分のオリジナリティなんて本当にあるのだろうかと思う彼女。
以前、爆笑問題が出ていた大学での生徒とのディスカッションで、ある生徒がそんなことを言っていたことを覚えている(記憶は、正確じゃないかもしれないけど)。
そのとき、爆笑の太田さんが
結果こそ、誰かと同じかもしれないけど、そこにいきつくまでの自分の思考の過程は自分でしかないものではないか
と言っていたんだと思う(これまた、記憶はさだか?ですが)。
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「誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で」
RADWIMPSがそんな歌を歌っていました。
私が望む場所は、誰かが立っているあの場所なんだろうな。
そういう気づきもまた、誰かがもう言っていることでもあるからややこしい。
途中も結果も、誰かと同じかもしれないけど、やっぱりそれを繰り返して積み上げていくものが自分なんだな。
と思いたくなりました。
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