幻の水上都市テノチティトラン ‐世界の都市の物語‐ | 鳳山雑記帳アメブロ版

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立花鳳山と申します。ヤフーブログが2019年閉鎖になったのでこちらに引っ越してきました。歴史ネタを中心に好き勝手なことを書いています。宜しくお願いします。

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※ この記事は旧ヤフーブログにおいて2006年4月に書いたものの転載です。ブログ引っ越しの際ほとんど転載できたと思っていたんですが、抜けが結構あったことにショックを受けています。

 

 

 

 メキシコ高原を中心に中南米にまで勢力を広げ、栄えたアステカ文明。その都テノチティトランは、テスココ湖に浮かぶ、幻想的な水上都市でした。最盛期には人口30万を数え、世界有数の大都市でもありました。

 この水上都市が建設されるのは、不思議ないきさつからでした。北米から南下してきたアステカ族は、拠点をどこに置くか悩んでいました。メキシコ高原で、条件の良いところにはすでに他の民族が住んでいたのです。神託では、「都を築くべき場所は、蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっている地」とでていたのですが、条件に合う土地はテスココ湖上の湿気の強い島でした。そんな不毛の土地ですから誰も住んでいなかったのですが、アステカ人は、神託に従いこの地を都と定めます。1325年のことでした。
 まず、住める状態にするには、土地を改良しなければなりません。沼沢地を埋め立て、なんとか乾燥した土地を確保しアステカ人たちはそこに住み始めました。しかし、住んでみるとその島は、得がたい好条件を持っていることを発見します。テスココ湖が天然の堀になり、いくつかの陸橋を通らなければたどり着けないという難攻不落の要塞都市になりうるのです。
 テノチティトランの都市としての発展の歴史は、そのままアステカ王国の歴史となりました。他民族を征服し、広大な領土を手に入れ、遠くインカ帝国にまで交易圏は広がりました。

 人口は30万にも達し、繁栄は永遠に続くかとおもわれた矢先、不吉な使者がおとずれます。スペイン人エルナン・コルテスです。黄金で満たされたアステカという未知の文明のうわさを聞きつけたコルテスは、ならず者を中心とした歩兵500、馬16頭、火砲14門の兵力を整えテノチティトランを訪問します。1519年のことでした。初めは友好の使節の仮面をかぶっていました。しかしコルテスの目はアステカ文明の輝けるほどの繁栄に釘付けになりました。この王国をどうしても手に入れたいと思ったコルテスでしたが、それには都合の良い伝説があったのです。
 「かって生贄に反対したために東方に追いやられた白い神ケツァコアトルが、いつの日か再来して人民に災厄をもたらす。」
 コルテスたちは、アステカの人々に白い神ケツァコアトルの再来と信じられました。そのため、アステカ軍の士気は上がらず、苦戦しました。しかし10万もの動員兵力を誇るアステカ王国は、一度はコルテスたちを追い出します。これに懲りたコルテスは、アステカに支配されて不満を持っていたトラスカラ、テスココなどの諸族と同盟を結び、なんと5万の兵力を集めます。
 包囲戦は3ヶ月も続きました。そしてついに1521年、水の都テノチティトランは陥落し、首都は激しい略奪のあと、徹底的に破壊されます。数年後、その廃墟にコルテスは都市を建設します。それが今のメキシコの首都メキシコシティです。テスココ湖も埋め立てられ、かっての面影はどこにもありません。

 皆さんがメキシコシティを訪れる機会があったら、その地面の下に、栄光の文明と幻想的な水上都市があったことを思い出してください。