1945年8月9日、極東ソ連軍戦闘序列 | 鳳山雑記帳アメブロ版

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※ 資料保存用

 

 我ながら暇だと思うんですが、1945年8月9日ソ連が火事場泥棒で参戦し満洲侵攻直前の戦闘序列です。あまりにも師団の数が膨大すぎて一枚の画像で収まりきれませんでした。

 

 線が切れているのは御愛嬌。ギリギリ縮小したのでこうなりました。要はこれだけ膨大な兵力でソ連が攻め込んだという事です。

 

 機械化狙撃師団(旅団)と自動車狙撃師団(旅団)の違いは、欧米なら歩兵の輸送手段としてトラックのみが自動車化、機械化の場合は装甲兵員輸送車も含み、ある程度の乗車戦闘も考慮しているというのがスタンダードですが、ソ連の装甲兵員輸送車って第2次大戦の奴はちょっと記憶にないので分かりません。親衛~と一緒で、功績があった部隊の箔付けの意味かも?

 

 赤旗軍と親衛軍の違いも良く分かりません。ソ連の編制に詳しい方ご教授ください。総兵力158万、火砲26000門、戦車・自走砲5500両。これに3400機の航空機が加わりました。

 

 師団数のわりに戦車・自走砲の数が少なすぎる気がするんですが、自動車化狙撃師団に戦車連隊が1個標準で付くのは戦後からだったのかもしれません。戦車旅団だけだと90両定数だから単純計算で2520両。戦後の戦車連隊よりも定数が少ないです。戦車師団が数個あるから、まあこんなものでしょう。

 

 こんなアホみたいな大軍相手に、日本の関東軍はよく頑張った方だと思いますよ。一線級師団を全部引き抜かれて張り子の虎状態だったですからね。ちなみに当時の関東軍の兵力70万、火砲1000門、戦車200両、航空機は練習機も含めて350機。戦闘機だけなら65機。厳しい戦いでしたね。