久しぶり(2018年以来)に歩いた関宿の町並みの素晴らしさに、ついつい見惚れて長居してしまいました。先を急がねば…
「東海道」と「伊勢別街道(伊勢参宮道)」を分ける「関宿・東の追分」です。伊勢外宮まで15里(約60㎞)あります。
一基の常夜燈が建っています。
石柱には…「大阪 津国屋重右衛門 江戸 嶋屋佐右衛門」
「天文五庚申歳正月手板組中」
と刻まれています。
火袋には…「享和元年辛酉天 仲夏下旬再造替」
「工匠 當國内宮領長峰住 徳田庄九郎 親範」
とあります。
㊟常夜燈は安政2年(1855)建てられ、火袋は享和元年(1801)に作り替えられていることがわかります。
伊勢別街道を跨ぐように建てられている「伊勢神宮遥拝鳥居(地元では一之鳥居と呼ばれているとか)」は、江戸時代までは地元の有力者の寄進によって建て替えられていましたが、明治維新以降は、伊勢神宮式年遷宮の際、神宮の古い鳥居をここに移築するのが習わしとなっています。
㊟伊勢神宮内宮宇治橋東詰(内側)の鳥居の旧材が移されます。次は令和17年(2035)。
廣重描く隷書版『東海道五十三次 關』は、この東の追分を描いています。
『伊勢参宮名所圖會…関の追分東海道・参宮道』にも、東海道を進む大名行列と鳥居・常夜燈、そして参宮道が描かれています。
この圖會は、寛政9年(1797)に刊行された5巻6冊、付録1巻2冊絵入大判本です。京三条大橋から鈴鹿峠を越え、伊勢神宮に至るまで、道中の名所や宿場の様子、由緒風俗について詳細に解説されています。京都からの参宮者は、古来の斎王群行や勅使参行の道筋を辿ることで、伊勢への祈りの旅が始まるのです。
伊勢参宮は、江戸時代に江戸庶民に爆発的に伊勢詣でが流行ったりしたこともあって、東海道から桑名そして伊勢に至る参宮道(今の伊勢街道)をイメージしがちですが、古くは京からの参宮が中心でした。その歴史は古く…
「参宮人十万人、貴賤を論ぜず」『太神宮諸雑事記』承平4年(934)9月新嘗祭
「遠近万邦の参宮人、幾千万を知らず」『勘仲記』弘安10年(1287)第32回外宮式年遷宮
などとあり、平安中期以降すでに多くの参宮者がおり、室町時代に入ると伊勢信仰を広めるため、御師(おんし…伊勢神宮では)や勧進聖、修験者らが各地に出向いていきました。そんなことにより、時代が降りるにつれその数が増えていきました。
御師……御祈祷師の略で、特定の社寺に属し参拝者の宿泊や世話をする。伊勢信仰に
おける信仰における御師の歴史はは7世紀末頃とされ、江戸時代には檀家に
御神札を配り祈祷も行っていました。
勧進聖…諸国を勧進して歩く遊行の僧。
修験者…修験道の行者。
「伊勢別街道」は、関宿・東追分で東海道と別れ、津で「伊勢街道」と合流し、伊勢に至る道です。古くは「いせみち」「やまだみち」「参宮道」などと呼ばれ、伊勢街道と合流する津・江戸橋追分までの総距離は4里26町(約20㎞)あります。
2025/05/26