小田原城址公園に入ります。

 

 

 

 

後北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参陣した大久保忠世が4万5千石で城主となり、4年後の文禄3年(1594)忠隣が6万5千石で跡を継ぎます。この頃近世城郭の姿に改修されました。慶長19年(1614)2代藩主忠隣の時代に政争に敗れ改易となり、城の一部が破却されます。

以降しばらく番城(城主をおかず侍大将などを派遣し守備させる)となりますが、寛永9年(1632)稲葉正勝が8万5千石で城主となります。稲葉正則の時代になった寛永10年(1633)駿相豆大地震により甚大な被害を受け、改修とともに天守新築の許可を受け延宝3年(1675)小田原城近世化工事が完了します。

そして貞享3年(1686)再興された大久保氏(忠増)が10万3千石で入封。元禄16年(1703)南関東駿豆地震により天守や櫓などが損壊。宝永3年(1703)天守閣が再建されるなど小田原城の修復が完成します。そして小田原城は東海道箱根の関所を控えた関東地方の要として幕末に至ります。

明治維新により廃城となり、すべての建物は解体され、さらに大正12年(1923)の関東大震災により江戸時代の姿は失われてしまいました。

 

 

 

 

「学橋」…赤い色がお堀に映えます。

 

 

 

隅櫓、そして奥に天守閣を望みます。

 

 

 

 

馬出門から中に入ると…

 

 

 

 

「小田原城址公園二の丸観光案内所」です。天守閣を含む現小田原城は、すべて戦後に再建された建物です。そんな中にあって、この観光案内所は、昭和初期に建てられた近代建築であり、下見板張り、縦長の上げ下げ窓など洋風の躯体を持ちながら、史跡の雰囲気を壊さぬよう屋根は日本の意匠となったいわゆる擬洋風の建物です。元は図書館だったという。

 

 

 

住吉橋を渡って…

 

 

 

「銅門(あかがねもん)」をくぐります。平成9年(1997)に復元された桝形門です。

 

 

 

二の丸側から見たところです。

 

 

 

 

「ビャクシン」…株元周囲3.9m、樹高約15m。樹齢不詳ですが小田原の歴史とともにあり続け風格を感じます。

 

 

 

「イヌマキ」…樹齢約520年、幹回り4.5mに及ぶ小田原市内最大の巨木です。

 

 

 

常盤木門に向かいます。

 

 

 

 

「菖蒲園」となっています。これから咲き競うでしょうね。

 

 

 

「常盤木門」…昭和46年(1971)に再建。本丸正門です。

 

 

 

 

 

 

本丸から眺める「天守閣」です。江戸時代に再建された模型や設計図を基に昭和35年(1960)に外観復元されたものだそうです。

 

3重4階の天守櫓に付櫓・続櫓を付した複合式天守閣です。

 

 

 

 

小田原城の初代天守は望楼型(慶長年間絵図)、2代天守は層塔型(寛永10年復興)、3代天守は層塔型(宝永3年復興)だったそうです。

 

昭和の再建では、3代天守の設計図を基に最上階に高欄付き廻縁を取り付けたとのだそうです。

 

 

 

 

北入口方面から見た天守閣。

 

 

                    2024/05/15