遅めの昼食を終え、伊勢参宮道は、「上野宿」に入ります。

 

 

 

 

 

宿場の入口に参宮常夜燈や、接待所もあったそうですが、昭和49年の大水害で消失したそうです。そういえば神戸宿以降「参宮常夜燈」見てないですね。見落としたのかなぁ。

 

 

 

 

「上野宿」は、上野藩主・分部光嘉が上野城城下町として整備した、約2㎞の町並みです。元和5年に分部氏が近江国大溝に転封となり、上野城も廃城となったのですが、その後も伊勢街道の宿場町として発展しました。本陣、脇本陣、問屋もあり、旅籠も27軒をこえ、妓楼も7~8軒あったといいますから、かなり繫栄した宿場だったようです。

 

 

 

 

 

 

「上野神社」の参道があります。この先登り詰めたところに鎮座します。左に見えるのは…

 

 

 

 

真宗高田派のお寺「最勝寺」です。

 

 

 

 

明応2年(1493)創建。本尊は上野城内にあった延命地蔵を安置するという。

 

 

 

 

登り詰めると「上野神社」です。創祀ははっきりしませんが、伊勢の国司北畠氏の祈願所として奉祀されたと伝えられます。上野城主分部光嘉は社領を寄進し、その子光信は社殿を寄進したという。祭神は八幡大神外17柱。かっては八幡神社と称したが、明治41年に近郊三村の神社35社を合祀して上野神社と称するようになった。

 

 

                       2025/04/17