東海道歩きは「藤沢宿」をめぐります。

 

 

 

 

 

浄土宗のお寺「常光寺」は、元亀3年創建、享保年間中興再建されています。

 

 

 

この寺の裏に「弁慶の首塚」と伝わる塚があります。かっては白旗神社の社領で、八王子権現が祀られていたという。

 

 

 

 

日蓮宗のお寺「妙善寺」は、初め真言密教の真蔵院でした。文永8年9月日蓮聖人が佐渡流罪となったおり、真蔵院で休息され、その折り聖人の教えを受け改宗妙善寺と号するようになったという。

 

 

 

 

 

本町通りを進みます。西、小田急藤沢本町駅あたりにあった上方見附から、この先の遊行寺(次に記事にします)東側の江戸見附までが藤沢宿です。東海道の宿場として整備される前から「遊行寺」の門前町として栄え、戦国時代小田原北条氏が伝馬を置くなど交通の要衝でした。天保14年(1843)の記録では、本陣1軒、脇本陣1軒(享和3年の記録では2軒)、旅籠45軒で、総家数は919軒でした。

 

戦国時代から江戸時代~明治期までの本町通りは、藤沢地区の地域経済の中心でしたが、大正時代の関東大震災、昭和初期の経済恐慌などにより陰りが見え、賑わいの中心は次第に南の藤沢駅周辺に移行していきました。

 

 

 

 

関東大震災前の藤沢宿本町通り

 

 

 

 

「蒔田本陣跡」…延享2年(1745)までは堀内本陣、その後は「蒔田本陣」でした。

 

 

 

 

「旧桔梗屋(国登録有形文化財)」は、茶・紙問屋を営んだ旧家であり、藤沢市内に現存する唯一の店蔵で、旧宿場町の雰囲気を今に伝えます。

 

 

 

 

明治44年(1911)建造。「街道に南面して建つ土蔵造2階建で、外壁を黒漆喰塗りとする。2階正面窓の掛子塗の窓枠や軒蛇腹などを丁寧につくり、1階主屋境に千人扉と呼ぶ重厚な観音開の土戸を吊るなど、優秀な左官技術を伝える」…として国登録有形文化財に登録されています。

 

 

 

 

 

本町通りを東進すると…

 

 

 

 

「遊行寺橋(かっては大鋸橋)」です。

 

㊟昭和5年の写真。

 

廣重描く隷書版「東海道五十三次 藤澤」です。往時の賑わいぶりが描かれています。

 

 

 

 

現代の橋「藤沢橋」です。橋のモニュメント…↑上の廣重の絵の燈籠に似てませんか。

 

 

 

この石柱は、江の島弁財天道標の一つです。江の島へはここから分かれます。これらの道標は、杉山検校(管を用いて鍼をさす管鍼術を考案)が寄進したと伝えます。正面に「ゑのしま道」右面に「一切衆生」左面に「二世安楽」と彫られ、すべての人の現世・来世の安穏・極楽への願いが込められています。

 

 

 

 

廣重描く行書版「東海道五十三次内 藤澤」…副題に「江のしま道」とあります。辨才天一ノ鳥居が描かれています。この画像の中にも↑の道標が描かれています。左橋が「大鋸橋」です。

 

 

                    2024/05/17